陰陽寮跡 (京都市上京区)
The ruins of Onmyoryo
陰陽寮跡 陰陽寮跡 
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マンションの玄関付近に置かれている金属製の説明版。劣化により説明文を読み取ることができない。この南北(写真では縦線)の線内(左側部分)に中務省の築地が建てられていたという事だろう。


丸太町通と美福通の交差点の南西付近。このあたりに陰陽寮があったとみられる。
 二条城の北東、丸太町通と美福通交差点北東のマンション入口に、「平安京中務省東面築地所跡」の小さな金属板が埋め込まれている。平安時代の中務省(なかつかさしょう)の唯一の遺構になっている。
 この付近より南西は、かつて、平安京大内裏の南東部に当たり、中務省が置かれていた。周囲は築地で囲まれ、その南東端に陰陽寮(おんみょうりょう)があり、平安時代の陰陽師・安倍晴明(921-1005)も通っていた。
◆陰陽寮 陰陽道は、6世紀に百済より日本に伝えられた。賀茂氏、安倍氏により大成され、やがて土御門家が継承した。
 奈良時代、陰陽五行思想に造詣の深かった第40代・天武天皇は、676年、陰陽寮、日本初の占星台を設けている。685年、陰陽師という用語が使い始められる。718年、養老律令では、中務省の内局、小寮の陰陽寮設置が明文化された。
 中務省には、大舎人寮(令制では左大舎人、右大舎人寮)、 図書寮、 内蔵寮、 縫殿寮、 内匠寮、そして南東に陰陽寮などが置かれていた。
 陰陽寮は、南北26丈(79m)、東西17丈(52m)の広さがあった。占い、天文、時、暦の編纂を担当した。陰陽頭、陰陽道に基づき呪術を行う陰陽師、陰陽師を養成する陰陽博士、安倍晴明も就いた天文博士は天文道を司り、天候、星の運行を観察・教授した。そのほか、暦の編纂・暦作成を教授した暦博士、学生・得業生で構成されていた。漏刻博士は、時計(漏刻)を管理して時報を行っていた。総勢、88人程度であったという。
 近代、1869年に陰陽頭土御門晴雄が死去、1870年、嫡男・土御門晴栄の代に廃止され、1000年以上の歴史を閉じた。 


*参考文献 『陰陽道と平安京 安倍晴明の世界』『安倍晴明・紫式部を歩く』『陰陽師 安倍晴明に出会う旅』『安倍晴明読本』


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 陰陽寮跡  京都市上京区中務町周辺

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