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瑞芳寺 (知足庵) (京都市北区) Zuiho-ji Temple |
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瑞芳寺 (知足庵) | 瑞芳寺 (知足庵) |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 了義院日達上人の墓 |
鷹ヶ峯の瑞芳寺(ずいほう-じ)門前には、「常法華堂 知足庵」の石標が立っている。境内北には、かつて本阿弥光悦、光悦の養子・光瑳の屋敷が隣接していた。 日蓮宗。 ◆歴史年表 江戸時代、1615年、徳川家康により鷹峰に野屋敷として与えられた書家、工芸家の本阿弥光悦は、本阿弥一族、工匠、豪商らとともに移り住んだ。 1637年、日龍により知足庵が営まれる。 また、1655年頃、また明暦年間(1655-1658)、光悦孫・光伝は、大虚庵の地の一部を寄進し、法華堂唱道場の知足庵真浄堂が建立された。 知足庵の由信、春継は、大虚庵脇に常題目堂を建立し、唱題修行を続けたという。 1706年、日達により瑞芳寺が開山された。 近代、1879年、瑞芳寺は知足院と合併する。 ◆日達 江戸時代前期-中期の日蓮宗の僧・日達(にちだつ、1674-1747)。俗姓は萱間、字は運智、号は了義院。陸奥(福島県・宮城県・岩手県・青森県)に生まれた。鷹峰、六条、中村の檀林能化(のうけ)を歴任した。1720年、京都本圀寺26世になる。著『御譲状註釈』。74歳。 華厳宗の鳳潭、天台宗の霊空とともに教界の三傑と称された。 ◆日龍 江戸時代の僧・日龍(?-?)。号は精進院。頂妙寺8世、中山23世。深草瑞光寺の元政とも親交があった。 ◆墓 境内に日龍の墓、日達の廟がある。 ◆屋敷跡 周辺の街道筋には、光悦のもとに参集した人々の屋敷跡が数多く残されている。 茶屋四朗次郎清次、呉服商の尾形宗柏(光琳・乾山祖父、乾山が相続)、唐織屋の蓮池常有、蒔絵師・土田宗沢、京唐紙の祖・紙屋宗二、筆製作の筆屋妙喜、光悦本人の屋敷、光悦養子・光瑳、光悦孫・光甫、光悦の母・妙秀の菩提寺だった妙秀寺など。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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