大行寺 (京都市下京区)
Daigyo-ji Temple
大行寺 大行寺 
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 大行寺(だいぎょうじ)は、仏光寺の北にある。長谷山(ちょうこくざん)北ノ院という。 
 真宗仏光寺派本山仏光寺の山内寺院、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 江戸時代、1821年、豊臣秀吉の月見御殿跡(高倉西奥之町、洛東二条)に、学頭権少都・信暁により建立された。
 1826年、ドイツ人医師・博物学者・シーボルトは、知恩院、祗園社、清水寺、大行寺、方広寺、三十三間堂などを訪れる。
 1853年、4世・神幢により現在地に移され、佛光寺の一院になる。
 1864年、禁門の変の兵火により焼失した。
 近代、1929年、現在の建物が再建されている。
◆信暁学頭 江戸時代中期-後期の僧・信暁学頭(しんぎょう-がくとう、1773?-1858)。詳細不明。権少僧都、教団に2人しかいない学頭のひとり。仏光門主23代・随応、24代・随念、25代・真達の師範だった。「御勧章」、仏光版「教行信証」を開版する。『山海里』36巻を著した。85歳?。
◆快慶 平安時代後期-鎌倉時代前期の仏師・快慶(かいけい、?-?)。詳細不明。号は安阿弥(あんなみ)、法名は安阿弥陀仏。署名は仏師快慶、丹波講師(たんばこうじ)、越後法橋、巧匠安阿弥陀仏、法橋快慶、法眼快慶など。運慶の父・康慶の弟子、運慶の門弟ともいう。1183年、運慶が発願した法華経の結縁(けちえん)者の一人になる。1189年、 興福寺旧蔵・弥勒菩薩像(ボストン美術館蔵)、建久年間 (1190-1199) 、 東大寺復興の造仏に運慶を助けた。1192年/1194年頃、重源の建立した兵庫浄土寺・阿弥陀三尊像、1201年、東大寺・僧形八幡神像、1202年、東大寺俊乗堂・阿弥陀如来像、建仁年間(1201-1204)、東大寺公慶堂・地蔵菩薩像、奈良・文殊院・文殊五尊像(?)、1203年、運慶らと合作の代表作である東大寺南大門・金剛力士像などがある。1236年まで造仏した。
 慶派仏師であり、運慶と並び鎌倉時代を代表した。30点近くの作品、現存遺作は20点ある。作風は藤原様式、宋の新様式を取り入れた。写実的、優美で安阿弥様式と呼ばれ、後世まで影響を与えた。東大寺中興の重源(ちょうげん)に師事し、阿弥陀信仰し熱心な浄土教信者だった。
◆仏像 本尊の「阿弥陀如来立像」(82.1㎝)(重文)は、厨子内に納められている。鎌倉時代前期の仏師・快慶(?-?)の晩年作とされる。法眼叙任した法眼時代(1208-1210?)の秀作とされる。上品下生印を結ぶ。足下ほぞ外側に「巧匠法眼快慶」の墨書銘がある。作風は理知的、端正、絵画的、繊細であり、「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる。快慶流の典型になる。
 木造、ヒノキ材とみられる寄木造、粉溜、漆箔、玉眼。
◆仏足跡 「仏足跡」は、江戸時代、1856年の建立時に、信暁学頭により建碑された。その後、1864年、禁門の変により焼失し、断石2個(30㎝四方)だけが残された。近年、1987年に原図を基に復元された。
 現在、仏足石には貞極系、大行寺系(酉阿系)、良定・東雲山水系、薬師寺系の4系統があるという。大行寺のものは、足の指先すべてに卍印(卍花文相)が入る。その他の部分には、金剛杵相、双魚相、宝瓶相、法螺貝、千輻輪相、梵王頂相などの模様が彫られている。
◆月見御殿 境内は、豊臣秀吉が月を賞したという月見御殿跡(高倉西奥之町)に建てられたという。詳細は不明。
◆修行体験 写経の会(奇数月、第3土曜日13:30-)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、『京都府の歴史散歩 上』、『昭和京都名所図会 5 洛中』 、ウェブサイト「コトバンク」


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大行寺 〒600-8083 京都市下京区西前町380,仏光寺通高倉東入ル北側   075-341-7010
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