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光福寺 (蔵王堂) (京都市南区) Kofuku-ji Temple |
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光福寺 | 光福寺 |
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![]() 参堂には鳥居が設けられている。 ![]() ![]() 山門 ![]() 山門「医王山」の扁額 ![]() ![]() 境内西にある光福寺 ![]() 光福寺 ![]() 光福寺本堂 ![]() 光福寺本堂「医王山」扁額 ![]() 拝殿 ![]() 蔵王堂、右より開基の浄蔵貴所、役の行者尊、地蔵大菩薩、観世音菩薩が安置されている。 ![]() 蔵王堂 ![]() 蔵王堂 ![]() 蔵王堂 ![]() 蔵王堂 |
光福寺(こうふく-じ)は、桂川に架かる久世橋の西方に位置する。正式には、医(醫)王山蔵王堂光福寺(いおうざん-ざおうどう-こうふく-じ)という。 西山浄土宗、本尊は蔵王権現。 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第19番札所。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細不明。 平安時代、955年、第62代・村上天皇の勅願寺として創建されたという。平安京の西南、裏鬼門の地に当たり、都を鎮護する役割があった。開基は、浄蔵貴所(じょうぞう-きしょ)という。霊告により蔵王権現をこの地に遷したという。 南北朝時代、少なくとも1352年、真言宗の東寺(教王護国寺)の支配下にあった。 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降、天台宗の三鈷寺の末寺になる。 近代、四宗兼学より、西山浄土宗に改めた。 現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。 ◆浄蔵貴所 平安時代前期-中期の天台宗の僧・浄蔵貴所(じょうじょう-きしょ、887-946)。男性。浄蔵。京都の生まれ。父・諌議太夫殿中監・文章博士・三善清行の第8子、母・第52代・嵯峨天皇の孫ともいう。4歳で千字文を読み、7歳で父を説得し仏門に帰し、熊野、金峯山などで苦行を積んだという。902年、12歳で宇多法皇(第91代)に会い、弟子になる。清涼房玄昭のもとで受戒し、三部大宝などを受け、大恵大法師に悉曇(しったん)の音韻を習得する。909年、菅原道真の怨霊に苦しむ藤原時平を護持祈念し、2匹の青竜が時平の左右の耳から頭を出したという。19歳で、比叡山横川に籠り、毎日法華六部誦経、毎夜六千反礼拝を行う。940年、横川首楞厳院で平将門降伏の祈禱を修し誅滅(ちゅうめつ、罪人を攻め滅ぼす)を予言した。八坂庚申堂(金剛寺)を建立し、948年、五重塔が西に傾き、験力を持つという東隣の雲居寺・浄蔵の加持により元に戻したという。(『元亨釈意』)。952年、浄蔵の加持祈祷後、子の刻(午前零時)、乾(北西)の微風により五重塔と宝鉾が動き、唸り、大地が揺らぎ、元に戻ったという。(『大法師浄蔵伝』)。寺に入った賊十数人を大声で一喝し失神させ、その罪を諭したという。964年、雲居寺で亡くなり、西向きに正念したという。 密教 顕密、悉曇、天文、医学、卜筮、管弦、文章、技芸に通じたという。各所で呪力を発揮し、予言と奇跡を起こした。そのため、天皇から庶民にいたるまで、神人、生き仏として尊んだという。死んだ父を蘇生させ、堀川の一条戻橋の名の由来になったという。祇園祭の山鉾・山伏山の人形は浄蔵がモデルといわれている。著『胎蔵界浄蔵私記』。74歳。 金閣寺(北区)の唐門近くに墓と伝えられるものがある。 ◆伝承 創建にまつわる伝承がある。 平安時代中期、955年、浄蔵貴所は、吉野山大峰山金御嶽の岩屋で密法の修行を終え都へ帰る際に、蔵王権現が現れた。権現は、自らを連れて帰るようにと乞い、永く衆生を守護するという。浄蔵貴所は権現を肩にかけ背負うと、たちまちにして木像と化したという。 浄蔵貴所は、桂川の畔で持っていた鉢を水に落としてしまう。鉢は独りでに川を遡り、北に向い岸で止まった。その地が現在の蔵王堂の東の川だったという。 その地には円い光が輝いており、近づくと弁財天女の霊場だった。背負ってきた蔵王神像も石のように動かなかった。夜、西に丈六のナギが生えたという。明天老翁が現れ、「弁財天医王善逝(ぜんせい)」と唱えて拝した。翁は、この地が医王弁財天女の影向(神仏が仮の姿をとって現れる)地という。このため浄蔵貴所は堂宇を建て、霊像を安置し本尊としたという。(『都名所図会』) ◆仏像・木像 蔵王堂には、中央に本尊・「蔵王権現」、左右に「浄蔵貴所、「役の行者尊」、「観世音菩薩」、「地蔵菩薩」などの木像が安置されている。 礼拝の順序は、初めに弁天堂、次に薬師堂、子守勝手社、最後に蔵王堂の蔵王権現に礼拝する。浄蔵貴所以来の教えがいまも守られているという。 ◆建築 現在の「本堂」は、江戸時代前期、正保年間(1644-1648)の建立による。 ◆鎮守社 ◈福宝弁財天女が祀られている。 ◈子守勝手社には、子守大明神が祀られている。 ◆六斎念仏 室町時代-江戸時代、寺は地域の拠点になっていた。久世六斎念仏の発祥の地として知られている。現在、念仏踊は国の重要無形民俗文化財に指定されている。 ◆石組 庭園の石組は、近現代の造園家・庭園史研究家・重盛三玲(1896-1975)の作庭による。やや荒廃している。 ◆蔵王の森 一帯には、かつて「京の七森」のひとつといわれた蔵王の森が広がっていた。現在は、わずかな境内の森だけが残されている。 ◆年間行事 八朔祭法楽会(久世六斎念仏踊の奉納)(8月31日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『京の寺 不思議見聞録』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() 地蔵堂 |
![]() 福宝弁財天女 |
![]() 薬師堂、瑠璃光薬師如来 |
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![]() 子守勝手社 |
![]() ![]() 大聖不動明王 |
![]() 庭園石組 |
![]() 境内に残る蔵王の森 |
![]() 【参照】祇園祭の山伏山、ご神体は浄蔵貴所で、大峰入りの修行で紀伊山地に入る姿を表すという。腰には法螺貝を付けてい る。 |
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