水薬師寺 (京都市下京区)
Mizuyakushi-ji Temple
水薬師寺 水薬師寺 
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本堂


本堂




 水薬師寺(みずやくしじ)は、七条幼稚園内に本堂が残されている。平安時代以来、皇室、将軍家との関わりが深い。山号院号は塩通山医王院という。 
 真言宗の単立寺院。本尊は薬師如来。
 京都十二薬師霊場会第2番札所。名薬師の一つ。
◆歴史年表 平安時代、902年、延喜年間(901-923)とも、この地にあった大池が光放ち、池の中より薬師如来が出現したという。第60代・醍醐天皇が理源大師聖宝に命じ、これを本尊として安置し開山したという。塩通山医王院水薬師寺の勅号を賜る。(寺伝)
 鎌倉時代、1331年-1339年、第96代・後醍醐天皇らによる、鎌倉幕府討幕運動の元弘の兵乱で寺運は衰える。
 江戸時代、正保年間(1644-1648)、京都所司代・板倉重宗が再興した。
 開明門院( 1717-1789 )は、第115代・桜町天皇、第116代・桃園天皇、第118代・後桃園天皇が短命だったため、御殿を移して本堂にした。三天皇の菩提を弔う。
 1789年、将軍家(板倉周防守足利とも)が尼寺として再興した。
 近代、1871年、水薬師寺の一室が恭明宮(きょうめいぐう)仮殿になる。
 1873年、恭明宮は廃止になり、仏像、仏具は水薬師寺に遷される。
 現代、2012年、平安時代に始まったという京都十二薬師霊場めぐりが復活する。
◆聖宝 平安時代の真言宗の僧・聖宝(しょうぼう、832-909)。恒蔭王(つねかげおう)。理源大師。父は兵部大丞葛声王の子。第38代・天智天皇皇子の歌人・施貴皇子(しきのみこ)の子孫。16歳で東大寺・真雅(空海実弟)により出家した。願曉、円宗、平仁、玄栄に三論、法相、華厳を学ぶ。葛城山、大峯山で修験道を修めた。869年、興福寺・維摩会の堅義に三論宗の立場で出る。871年、真雅より無量寿法を受ける。874年、醍醐寺を創建した。884年、東寺・源仁より伝法灌頂を受けた。890年、藤原良房が聖宝のために建立した深草・貞観寺の座主。飛鳥・川原寺検校、東寺長者・別当、西寺別当、905年、東大寺東南院院主・別当、七大寺検校。奈良・弘福寺などに就く。第59代・宇多天皇、第60代・醍醐天皇の帰依を受けた。真言宗醍醐派小野流の祖。吉野、金峯山の整備、造仏を行い、中世以降、修験道中興の祖といわれた。
◆開明門院 江戸時代中期の女性・開明門院(かいめい もんいん、1717-1789)。定子。姉小路実武(さねたけ)の娘。東宮(第115代・桜町天皇)上臈(じょうろう)として仕えた。1735年、桜町天皇の践祚に伴い、後宮に入り典侍(ないしのすけ/てんじ)になる。1741年、皇子(後の第116代・桃園天皇)を産む。1762年、桃園天皇の急死後、1763年、天皇の生母のために、異例の准三宮を経ずに院号宣下を受け開明門院になる。後に、剃髪して哲堂と称した。
 墓は清浄華院にある。
◆大池・開山伝承 古く、この地には大池があったという。一日に5回も干満があり、若狭国の海と繋がっているといわれた。奈良・東大寺の二月堂の閼伽井に通じる塩路があるとされた。このため、一帯を塩小路と呼んだともいう。
 理源大師聖宝は、この池中に一体の薬師如来を見出し、安置して当寺を開山したという。
◆弁財天堂・清盛井 かつて境内に弁財天堂が祀られていた。伝承がある。
 平安時代の平清盛(1118-1181)が熱病を患った。当寺の池で水浴びすると、水は湯になり、たちまち平癒したという。そのため、安芸国宮島の弁財天を勧請して祀った。池は「清盛井」「石井(いわい)」「岩井」とも呼ばれた。
 現在、池は失われた。石井町の地名だけが残る。池は、幼稚園のプール付近にあったという。
◆弁慶石 弁慶石の伝承がある。かつて鞍馬口に、弁慶が腰を下ろしていたという石があった。「弁慶石」といわれていた。その後、洪水の際に麩屋町まで流された。後に、七条朱雀の水薬師境内に移されたという。(『京雀』)。現在、境内に石は存在しない。
◆恭明宮 平安時代中期以来、京都御所の黒戸(くろんど)に、天皇皇后の位牌、念持仏を祀った。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈以後、黒戸は廃される。皇室歴代の位牌、念持仏は、宮中より霊牌殿の「恭明宮(きょうめいぐう)」に奉安されることになる。東京遷都に際し、天皇に随行しなかった宮中女官の居住施設も兼ねた。
 方広寺跡地(東山区、現在の京都国立博物館敷地の西北部)が予定地になる。1870年に地鎮、1871年、水薬師寺の一室を恭明宮仮殿として遷座した。公卿・中御門経之(1821-1891)が恭明宮御用掛に任じられた。寝殿造の大規模な恭明宮が完成し、位牌・念持仏を遷座し、宮内省の管轄になる。 左右には女官のための局も建てられていた。なお、この時、宝生院、方広寺の鐘楼が撤去されている。
 その後、恭明宮は荒廃する。1873年、廃止になった。泉涌寺に霊牌殿、位牌・念持仏も遷された。 仏像仏具は水薬師寺に遷されている。
 1875年、豊国神社の造営が始まり、1876年、恭明宮の建物は京都府に移管される。恭明宮の住居棟の一部は仮社務所に使われた。1878年までに恭明宮は売却される。付属建物の一部は、京都盲唖院(1878年に開校)に移築された。
◆年間行事 本尊御開帳(初薬師)(一般参拝可)(1月8日)、祈願護摩供修行(2月第2日曜)。


*普段は非公開、本尊御開帳は1月8日のみ。
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』「寺略縁起」『ワールドミステリーツアー13』『事典 日本の名僧』『昭和京都名所図会 5 洛中』『昭和京都名所図会 1 洛東 上』、サイト「発掘調査で見つかった恭明宮  京都市埋蔵文化財研究所」



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