瑞雲院 (京都市上京区)  
Zuiun-in Temple
瑞雲院 瑞雲院
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 作庵町(さくあんちょう)に瑞雲院(ずいうんいん)はある。山号は仏迎山(ぶつこうざん)という。
 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀如来像(児如来 [ちごにょらい] )を安置する。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1594年、教誉上人が創建した。(『坊目誌』)
 1597年、現在の「瑞雲院」と号した。(『坊目誌』)
 江戸時代、1730年、享保の大火(西陣焼け)で被災する。
 1788年、天明の大火は免れた。
◆教誉 安土・桃山時代の浄土宗の僧・教誉(?-?)。詳細不明。1594年、瑞雲院を創建した。
◆渤海翁 江戸時代中期の書家・渤海翁(ぼっかいおう、1704-1773)。名は保、字は享、号は北門。京都吉祥院村の生まれ。西陣で生糸商を営む。書をよくし、謡曲を好む。70歳。
 墓は瑞雲院(上京区)にある。「北門渤海君墓」と刻む。
◆横山華山 江戸時代後期の画家・横山華山(よこやま-かざん、1784-1837)。京都の生まれ。名は一章、字は舜朗。京都生れ。岸駒(がんく)に師事し、四条派の松村月渓に学ぶ。人物・花鳥・山水画に優れた。「京洛一覧図」を作り賞される。54歳。
 墓は瑞雲院(上京区)にある。「黄華山之墓」と刻む。
◆横山華渓 江戸時代後期の画家・横山華渓(よこやま-かけい、1815-1864)、本姓は中尾、名は文英、字は孟坦、通称は信平、主馬之助、別号は嵐山。若狭(福井県)生まれ。岸駒(がんく)、横山華山に学ぶ。1837年、横山家を継ぐ。養蚕を奨励し、郷里などに桑苗を配布した。作品に「蘭亭の図」など。50歳。
 墓は瑞雲院(上京区)にある。
◆本尊 本堂の本尊「阿弥陀如来像」(80㎝)は、あどけない表情から「児如来(ちごによらい)」とも呼ばれた。京都の「名弥陀」の一つとされた。(『京羽二重』)。肩近くまで有髪があり、発毛祈願の信仰がある。一木彫、玉眼入。
 伝承がある。平安時代、第64代・円融天皇(在位:969-984)の時、天徳年間(957-961)とも、江州高島郡船木庄(滋賀県安曇野町)の長者・忍川武文夫婦に3歳の男児があった。
 ある秋の夕暮れ、男児は突然に行方不明になる。両親は悲観に暮れた。旅の修行僧が、経緯を聴いて童形の阿弥陀像を刻んだ。僧は、この像に念仏を怠らなければ、必ず子に再会できると説いた。
 9年後、旅僧により、男児は美濃国谷汲(たくみ)の、ある老夫婦に育てていることがわかる。後に、男児は無事に両親のもとに戻ることができた。夫婦は報恩のために、近くに庵室を建て、本尊として児如来を安置し崇めたという。(寺伝、『浄家寺鑑』)
◆股三寶荒神尊 「股三寶荒神尊」が祀られている。仏教の仏・法・僧の三寶を守護する。三面六臂で憤怒の形相を持つ。如来荒神・鹿乱荒神・忿怒荒神の三身という。
 火の神・竈の神であり、家の守護神、作物の神としての信仰がある。
◆文化財 「来迎図」は、平安時代の源信(恵心僧都、942-1017)書写によるともいう。(『浄家寺鑑』)
◆墓 江戸時代の画家・横山華山、華渓父子の墓がある。
 書家・渤海翁(北門)、その妻、書をした娘・可鼎の墓がある。
◆作庵町 作庵町(さくあんちょう)の町名は、安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)に、この付近に住した医師・作庵に因んでいる。作庵は作陶し、楽焼の印「祖母懐(うばがふところ)」が知られた。東の石像寺に墓がある。
◆年間行事 節分会(火伏せ札が授与される。)(2月節分)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺  周辺石像寺(しゃくぞうじ)(釘抜地蔵)  周辺引接寺(千本閻魔堂)  関連     
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map 瑞雲院 〒 602-8304 京都市上京区作庵町(さくあんちょう)505,千本通上立売上ル西側   075-462-8097
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