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猿田彦神社 (京都市上京区) Sarutahiko-jinja Shrine |
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猿田彦神社 | 猿田彦神社 |
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上御霊神社の西、住宅地に小社・猿田彦神社(さるたひこ じんじゃ)はある。かつて、広大な境内を有していたという。式内の「出雲高野神社」ともいう。詳細は不明。 祭神は、猿田彦大神(さるたひこのかみ)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の2座を祀る。旧村社。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 奈良時代、793年、平安遷都の前年に、第50代・桓武天皇は、猿田彦大神の託宣を受け、遷都を行ったともいう。 794年、遷都とともに桓武天皇は、左大臣・紀古佐美、大納言・藤原小黒麿に命じて猿田彦神社を創建したともいう。山城国高野村を神領に定めたという。以後、歴代天皇の信仰篤く、御所造営の際には、社の土を用いて地鎮の神事が執り行われた。庶民もこれに倣ったという。 室町時代、1383年、第3代将軍・足利義満により、本殿が再建された。四方四町(約436m)の社地には、南向の本殿、幣殿、祝詞舎、拝殿、神楽殿、神供所が建てられ、境内社として伊勢二所大神宮、二柱社、四隅社、若宮社、氏神社、稲荷社などが祀られていた。神領は小山郷柏木田が寄進された。 応仁・文明の乱(1467-1477)により社殿はすべて焼失した。 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、一部再興されていた社殿は、兵火により再び焼失した。 江戸時代、1710年、神楽司・岡本内記が邸内に小祠を建て祀ったという。 1788年、天明の大火により焼失する。 1793年、再建され、現在地に移されたともいう。 現代、1985年、現在の本殿が再建されている。 ◆建築 本殿は流造で北面している。境内は現在は38坪(126㎡)ある。 ◆年間行事 例祭日(5月5日)、火焚祭(11月3日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 5 洛中』 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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