法雲院 (京都市右京区)
Houn-in Temple
法雲院 法雲院 
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home













門前脇の句碑「月花のまことをしめす時雨かな」聴雨

 太秦蜂岡に法雲院(ほううんいん)はある。山号は竜臥山(りゅうがさん)という。 
 臨済宗永源寺派。本尊は千手観音像。
◆歴史年表 江戸時代、1661年、公卿・烏丸資慶が、所領のあった太秦に、祖父・光広の法号「法雲院泰翁宗山」を寺号として建立した。永源寺・一絲文守(いっし ぶんしゅ)を開山に請じた。(寺伝、『雍州府志』)
 また、同年に没した井伊直滋の菩提を弔うために、近従・沢村群兵衛は永源寺・如雪文巌(にょせつ もんがん)に願う。如雪は資慶に託し、広隆寺・総持寺跡に一宇を建立した。資慶は直滋の菩提寺を憚ったため、祖父・光広を改葬した。光広の法号により法雲院とし、師・一絲文守を請じて開山にしたともいう。(『雍州府志』『太秦村誌』)
◆一絲文守 江戸時代前期の臨済宗の僧・一絲文守(いっし-もんじゅ/ぶんしゅ、1608-1646)。号は桐江・耕閑など、諡号は定慧明光仏頂国師。山城国(京都府)の生まれ。公卿・岩倉具堯(いわくら-ともたか)の第3子。母は藤原基継の娘。8歳で禁中に奉仕し、14歳で相国寺・雪岑梵崟、堺・南宗寺・沢庵宗彭(たくあん そうほう)に参じた。1626年、槙尾山・賢俊により出家し、再び沢庵に参じたが印可は許されなかった。1629年、沢庵の紫衣事件にともなう出羽流罪に従う。その後、幕府に近付く沢庵と袂を分かち、洛西岡村(樫原)に閑夢庵(後の洞雲寺)を結ぶ。1631年、丹波山国に庵を結ぶ。別に桐江庵(とうこうあん)を開いた。後水尾上皇(第108代)の帰依を受け、1638年、西賀茂・霊源禅院を開き持戒禅を唱えた。明に渡ることを果たせず、妙心寺・愚堂東寔(ぐどう-とうしょく)、雲居希膺(うんご-きよう)に就き愚堂の法嗣になる。1641年、桐江庵の北に法常寺を開く。1643年、近江・永源寺80世になり中興した。日野・法明寺も再興する。著『大梅山夜話』。39歳。
 詩・書画に優れ烏丸光広、小堀遠州、松花堂昭乗らと親交があった。後水尾天皇の第1皇女・梅宮(文智禅尼)と淡い交遊があったともいう。没後の1678年、諡号は定慧明光仏頂国師が贈られた。
◆如雪文巌 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・如雪文巌(にょせつ-もんがん、1601-1671)。俗姓は三好。阿波(徳島県)の生まれ。密教、灌頂を受け近江・永源寺の一絲文守(いっし-もんじゅ)に師事し、法嗣になる。永源寺住持になった。71歳。
◆烏丸光広 安土・桃山時代-江戸時代前期の公卿・歌人・烏丸光広(からすまる-みつひろ、1579-1638)。号は烏有子(うゆうし)。烏丸光宣の子。1581年、3歳で従五位下に叙された。弁官・蔵人頭、1606年、参議、1609年、侍従・猪熊教利による女官密通事件(猪熊事件)に連座し、第107代・後陽成天皇の勅勘により蟄居を命じられた。1611年、勅免・還任、1616年、大納言、1620年、正二位。
 後水尾上皇(第108代)の信任篤く、本阿弥光悦、俵屋宗達らと親交した。清原宣賢に儒学を学び、沢庵宗彭、一絲文守に帰依した。能書家(光広流)、細川幽斎に和歌を学び、古今を伝授され二条家流歌学を究めた。歌集に『黄葉和歌集』。紀行文『東行記』。孫・資慶による伝記『烏丸光広卿行状』。60歳。
 初め西賀茂・霊源寺に葬られた。1663年、法雲院に移された。法名は法雲院泰翁宗山。
◆烏丸資慶 江戸時代前期の公家・歌人・烏丸資慶(からすまる-すけよし、1622-1670)。父は烏丸光賢。母は正室・細川忠興の娘・まん。烏丸家11代当主。参議、1658年、権大納言になる。1662年、正二位。祖父・光広に歌学を学び、後水尾院(第108代)歌会に参加した。第111代・後西天皇、中院通茂とともに後水尾院より古今伝授をうけた。法雲院開基。著『烏丸資慶詠草』。48歳
 東常縁の和歌を編集した『常緑集』は子・光雄が受け継ぎ、1671年、完成した。
◆寂室元光 鎌倉時代後期-南北朝時代の臨済宗の僧・寂室元光(じゃくしつ-げんこう、1290-1367)。諡号は円応禅師、正燈国師。美作(岡山県)の生まれ。鉄船、寂室。13歳で山城国三聖寺の無為昭元(むい-しょうげん)に師事し出家、鎌倉・禅興寺の約翁徳倹(やくおう-とっけん)、武蔵金沢・称名寺の慧雲、一山一寧(いっさん-いちねい)などに師事した。1320年、元に渡り、天目山の中峰明本・径山の元叟行端(げんそう-こうたん)などに参禅、寂室の道号を与えられた。1326年、帰国、中国地方、中部地方など各地を行脚した。備後・永徳寺、摂津・福源寺などを開く。1361年、近江守護・六角氏頼の帰依を得て、永源寺の開山になる。78歳。
◆井伊直滋 江戸時代の武士・井伊直滋(いい-なおしげ、1612-1661)。近江彦根藩2代藩主・井伊直孝の長男。1627年、従四位下侍従、靱負佐を叙任した。1658年、廃嫡、父との対立、病弱のためともいう。出家し近江国・百済寺に隠棲した。
 歌人であり、歌集に『井伊直滋詠草』。49歳。
 墓は法雲院(右京区)にある。
◆裏松固禅 江戸時代中期-後期の有職(ゆうそく)故実家・裏松固禅(うらまつ-こぜん、1736-1804)。光世、法号は固禅。京都の生まれ。1758年、尊王論者・竹内式部らを処罰した宝暦事件に連座し永蟄居になる。以後、故実研究に専念した。1788年、内裏焼失に際して、固禅の研究に基づき平安内裏が復元・再建された。著『大内裏図考証』『皇居年表』。68歳。
 墓は法雲院(右京区)にある。
仏像 本堂に本尊「千手観音像」を安置している。
◆文化財 鎌倉時代の永源寺開山の「寂室元光消息」1幅(重文)。
 「光弘辞世之頌並和歌」、「黄葉和歌集」2帖。
◆墓 烏丸光広・光賢・資慶・烏丸家累代。
 井伊直滋・井伊家、烏丸家より出た勘解由小路(かでのこうじ)家・裏松家、有職故実家・裏松固禅、七條家の各墓がある。
 烏丸光広の五輪塔が立つ。
◆修行体験 坐禅・法話(要予約)。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『雍州府志』、『事典 日本の名僧』、『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」



関連・周辺  周辺  関連洞雲寺  関連法常寺(亀岡市)     
法雲院 〒616-8162 京都市右京区太秦蜂岡町17  075-861-1861
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   50音索引,Japanese alphabetical order  Home  
© 2006- Kyotofukoh,京都風光