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久遠寺 (京都市右京区) Myoyu-kuonj Temple |
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久遠寺 | 久遠寺 |
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嵯峨の妙祐久遠寺(みょうゆう くおんじ)は「にっきょうでら」とも呼ばれる。 顕本法華宗、本尊は十界大曼荼羅。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 年代不詳、かつて久遠寺は下京区にあった。 近代、1914年、上行寺(東山区)と合併し、妙祐久遠寺と改めた。その後、嵯峨野の現在地に移る。 ◆境地院日秀 安土・桃山時代-江戸時代?の日蓮宗の僧・境智院日秀(?-?)。常楽院日経の弟子。1609年、幕府の弾圧である慶長の法難で日経とともに鼻削ぎ刑に遭う。後に織田信好の援助、後水尾院の綸旨を得て、1611年、五条橋近くに上行寺を開く。大坂生玉前に堂閣寺を開いた。 ◆上行寺 上行寺(じょうぎょうじ)は、江戸時代、1611年、境智院日秀により東山の五条橋近く仏師北側町に創建された。不受不施派であり、中本寺、日秀が鼻削ぎ刑に処せられたことから「鼻切寺」とも呼ばれ、妙満寺の末寺だった。(『京都府地誌』『坊目誌』) 近代、1914年に久遠寺(下京区)と合併し、妙祐久遠寺と改称し、現在は嵯峨に移転している。 *非公開 *参考文献 『京都市の地名』、ウェブサイト「善立山 信行寺」 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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