深泥池貴舩神社 (京都市北区)
Mizorogaike-kifune-jinja Shrine
深泥池貴舩神社 深泥池貴舩神社 
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秋葉神社




大杉
 深泥池(みぞろがいけ)の西にある深泥池貴舩神社(みぞろがいけ/みどろがいけ-きふね-じんじゃ)は、貴船神社の分社で、祭神は、高霹神(たかおかみのかみ)を祀る。 
 農耕、安寧、除災招福の信仰篤い。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代、寛文年間(1660-1670)、10月23日、農民により貴船神社から分霊が行われ、街道筋の当地に祀られたという。
 現代、1992年、秋葉神社が再建される。
◆秋葉神社・すぐき 境内には秋葉神社が1992年に再建されている。
 深泥池は、古くは「七つ森七軒村」といわれていた。このうち一番森は「消し山」と呼ばれ、火伏せ神の秋葉神社が、平安時代の頃、1200年前から祀られていたという。
 神仏混交の神社であったため、近代、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈により、賀茂社の社家により社の打ち壊しが行われたという。
 1869年3月、社殿の修復を怠った村に大火が起こり、村は焼失した。だが、焼け跡の漬物桶だけは、焼けながらも中身は残された。村の長が漬物を開けると、いい匂いがしたため、試食すると美味しかったという。以来、発酵食品の「酸い茎(すぐき)」が生まれたという。
 火の神である秋葉神社は、村人に罰を与えるとともに、生命の根源である酵素の漬物も恵み与えたと伝えられている。
◆豆塚・節分 節分会、鬼の伝承がある。  平安京の北では、毎夜、鬼が出没し悪行を働いていた。鬼は貴船の谷に潜み、地下道を通って深泥池畔(左京区)の穴から地上に出入りしたという。
 人々は鬼退治のために、鬼が嫌う豆を穴に投げ込み封じた。以来、鬼は出てこず、この穴に節分の豆を捨てる習わしになった。これが節分での豆まき、鬼払いの始まりになったともいう。
 穴跡に豆塚があったとも、穴跡は深泥池貴舩神社だったともいう。
 平安京を追われた鬼らは、金峯山寺(奈良吉野)に迎えられた。鬼火の祭典では、今までの悪行を改心する。以来、金峯山寺では独特の伝統法会「 節分会・鬼火の祭典 」(2月3日)が執り行われている。鬼の調伏式では、いまも「福は内、鬼も内」との掛け声で豆まきが行われている。全国でも極めて珍しいという。
◆年間行事 例祭(10月23日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 由緒駒札、ウェブサイト「金峯山寺」、ウェブサイト「e京都ねっと」


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深泥池貴舩神社  〒603-8046 京都市北区上賀茂深泥池町53  
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