今宮神社 (京都市右京区) 
Imamiya-jinja Shrine
今宮神社 今宮神社 
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松尾社
 双ヶ岡(ならびがおか)の東にある今宮神社(いまみや-しんじゃ)は、花園、安井一帯の産土神になっている。かつては祇花園(ぎけおん)社、花園社、花園今宮神社とも呼ばれた。
 祭神は素戔嗚命を祀る御霊社。
◆歴史年表 平安時代、1015年、都での疫病流行に際して、疫神の宣託により創祀された。近衛府などの宮人の奉仕により御霊会が催された。西京極大路に接する地にあり、疫神の侵入する西の入り口に祀られていた。
 その後、一時衰退した。
 1052年/第70代・後冷泉天皇の代(1045-1068も、再び都で疫病流行し、社が造営され、御霊会が営まれた。
 神仏混淆時代、法金剛院、仁和寺の鎮守社になる。
 江戸時代、1644年、仁和寺門跡・覚深法親王が、仁和寺の「寛永再興」の一環として、江戸幕府3代将軍・徳川家光の援助の下に、本殿、拝殿、末社を造営している。
 近代、1868年以降、神仏分離令後の廃仏毀釈により、神仏混淆は廃され厄除神今宮大明神になる。
◆覚性 法親王 平安時代後期の仁和寺門跡・覚性 法親王(かくしょう-ほっしんのう、1129-1169)。男性。父・第74代・鳥羽天皇、母・待賢門院璋子の第5皇子。1129年、親王になる。仁和寺北院の覚法により出家、灌頂を受け、1153年、仁和寺5世・門跡になる。1167年、総法務。1156年、保元の乱後、兄・崇徳上皇は弟の法親王を頼り仁和寺に立ち寄る。その後、捕えられ讃岐に流され憤死した。89歳。
◆建築 「本殿」は、大型の一間社流造になる。現代、1984年に京都市指定有形文化財指定)になる。
◆祭礼 例大祭(神幸祭)(10月16日)では、神輿の巡行がある。
 当日午前に、妙心寺南門前に剣鉾を立て、14時頃に神幸列を迎える。駒札「御神剣」が立てられる。夕刻に片付けられ、翌朝に次の鉾宿に剣・掛け軸が遷される「宿送り」がある。
 剣鉾は3基ある。かつては巡幸に供奉し鉾差しも行われていた。剣鉾会(寺ノ前町・坤南町)は、菊の意匠の剣鉾を護持する。鉾宿では1年に渡り鉾の剣を床の間に飾る。木辻町は、おいで(第2日曜日)に当屋に鉾頭を飾り、おかえり(第3日曜日)に枠造りに橘の意匠の剣鉾を立てる。安井奥畑町・北御所町では、龍の意匠の剣鉾で、毎年交替で護持する。おいでに玄関に飾り、おかえりには神輿を迎える。
◆年間行事 例大祭(神幸祭)(10月16日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 今宮神社由緒、『洛西探訪』、『剣鉾まつり』



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今宮神社 〒616-8042  京都市右京区花園伊町17  
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