史跡 天皇ノ杜古墳 (京都市西京区) 
Tenno-no-mori-kofun(Tumulus )
天皇ノ杜古墳 天皇ノ杜古墳 
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右が前方部


後円部から前方部


古墳の上、後円部のテラスから前方部を見る








【参照】古墳全景(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所の説明板より)
 亀岡に向かう国道9号線沿いに「史跡 天皇の杜古墳」がある。平安時代の第55代・文徳天皇(もんとく-てんのう)の御陵」と伝えられ、「御陵さん」「天皇ノ杜」とも呼ばれてきた。 
 墳墓の保存状態が極めて良く、京都市内で最良、最大級の数少ない前方後円墳の遺跡になっている。
◆歴史年表 古墳時代前期、4世紀代(301-400)、築造されたとみられている。かつて、桂川右岸を支配した有力豪族・首長級の墳墓と推定されている。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、天皇の杜古墳は文徳天皇陵とされていた。儒学者・蒲生君平(がもう-くんぺい1768-1813)も訪れている。
 近代、1922年、国の史跡に指定された。
 現代、1988年-1990年、発掘調査が行われる。
 1994年、史跡公園として公開された。
◆古墳 古墳時代前期、4世紀に築造されたとみられている。桂川右岸最大の前方後円墳になる。
 この地は、交通の要衝地であり、桂川沿いの平野では稲作が行われていた。それらを見下ろす台地に築造されたとみられている。
 後円部に死者を葬り、前方部で葬送の儀式を行ったとみられている。これらの墳丘は、大王の墓、中央と同盟関係にあるか、従属関係にある首長にしか許されていなかった。なお、宮内庁は陵墓指定しなかった。 
 発掘調査(1988-1990)により、古墳は台地の上に墳丘を盛り上げて造られ、二段築成になっていた。墳墓は、前方部が広がらない「柄鏡式(えかがみしき)」の形態をしている。当初、考えられていた周辺部に、周濠跡は見られなかった。古墳の最底辺部は、墳墓の区域を区分するための整地された「兆域」に過ぎないことがわかっている。墳丘部斜面には丁寧に葺石(ふきいし)が張られていた。テラス部からは、埴輪列(円筒埴輪、朝顔形埴輪)が出土している。なお、前方部の発掘は行われていない。内部は粘土槨の可能性がある。
 古墳の形態は前方後円墳、総面積は10.234㎡(墳丘部2.908㎡・周濠部7.326㎡)、墳丘部の全長83.0m、前方部の幅33.5m、前方部の高さ4.8m、後円部の幅50.5m、後円部の高さ7.2m。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、『京都大事典』『畿内 古代遺跡ガイド』『掘り出された京都』、京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所


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map 史跡 天皇ノ杜古墳 〒615-8234 京都市西京区御陵塚ノ越町9-7 
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