史跡 天皇ノ杜古墳 (京都市西京区) 
Tenno-no-mori-kofun(Tumulus )
天皇ノ杜古墳 天皇ノ杜古墳 
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右が前方部


後円部から前方部


古墳の上、後円部のテラスから前方部を見る
 亀岡に向かう国道9号線沿いにある「史跡 天皇の杜古墳」は、古くより平安時代の第55代・文徳天皇(もんとくてんのう、827-858)の御陵」と伝えられていたため、「御陵さん」「天皇ノ杜」とも呼ばれてきた。 
 墳墓の保存状態がきわめてよく、京都市内で最大級の、しかも数少ない前方後円墳の遺跡となっている。
◆歴史年表 古墳時代前期、4世紀代(301-400)、築造されたとみられている。かつて、桂川右岸を支配していた有力豪族・首長級の墳墓と推定されている。
 現代、1988年-1990年、発掘調査が行われる。
 1922年、国の史跡に指定された。
 1994年、史跡公園として公開された。
◆古墳 後円部に死者を葬り、前方部で葬送の儀式を行ったとみられている。これらの墳丘は、大王の墓か、中央と同盟関係にあるか従属関係にある首長にしか許されていなかった。 
 この地が、交通の要衝地であり、桂川沿いの平野では稲作が行われていた。それらを見下ろす台地に築造されたとみられている。
 発掘調査(1988-1990)により、古墳は台地の上に墳丘を盛り上げて造られた、二段築成となっていた。墳墓は、前方部が広がらない「柄鏡式(えかがみしき)」の形態をしている。当初考えられていた周辺部に、周濠跡は見られなかった。古墳の最底辺部は、墳墓の区域を区分するための「兆域」に過ぎないことがわかっている。墳丘部斜面には丁寧に葺石(ふきいし)が張られていた。テラス部からは、埴輪列(円筒埴輪、朝顔形埴輪)が出土している。なお、前方部の発掘は行われていない。
 古墳の形態 前方後円墳、総面積:10.234㎡(墳丘部2.908㎡・周濠部7.326㎡)、墳丘部の全長83.0m、前方部の幅33.5m、前方部の高さ4.8m、後円部の幅50.5m、後円部の高さ7.2m。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 


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map 史跡 天皇ノ杜古墳 〒615-8234 京都市西京区御陵塚ノ越町9-7 
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