伯清稲荷大明神・天塚古墳 (京都市右京区) 
Hakusei-inari-daimyojin Shrine,Amazuka-kofun Tumulus
伯清稲荷大明神・天塚古墳 伯清稲荷大明神・天塚古墳 
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伯清稲荷大神、鳥居をくぐった左手(東)が古墳


墳丘部分、鳥居、石塔など数多く設けられている。
 西高瀬川の南、住宅地の一角に伯清稲荷大明神(はくせい いなり だいみょうじん)が祀られている。「白徳稲荷大神」、「白龍稲荷大神」とも呼ばれている。祖霊稲荷、養蚕稲荷になる。
 境内に、天塚古墳 (あまづか こふん)(国史跡)の墳墓がある。 
 祭神は、伯清稲荷大神(宇賀御魂、うかのみたま)になる。
 商売繁盛、一家親睦、病気平癒、寿命長久、厄除け、福運、諸願成就の信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古墳時代-飛鳥時代、6世紀(501-600)前半、天塚古墳が築造されたとみられている。付近には蛇塚、甲塚などの古墳群、蚕ノ社などもあり、5世紀後半に渡来した秦氏に関わるとみられている。
 近代、1887年、天塚古墳の発掘調査が行われた。この時、伯清稲荷大神は、木島神社に遷される。(「伯清稲荷大神由緒沿革并天塚古墳」)
 1898年、太秦村の九島ちかに霊夢があり、伯清稲荷大神は天塚古墳に戻されたという。
 現代、1978年、天塚古墳は、京都市の史跡に指定されている。
◆伯清稲荷大明神 伯清稲荷大明神は、秦氏の祖神、守護神として、天塚古墳に祀られていた。近代、1887年に、天塚古墳の発掘調査が行われた際に、伯清稲荷大神は木島神社(右京区)に遷された。
 その後、1898年、太秦村に住む九島ちかに夢告があったという。稲荷神が元の天塚古墳に祀ってほしいと託宣した。このため、お告げに従い古墳の石室内に戻されて祀られた。さらに、宗教法人「御嶽教管轄白清教会」が組織され、ちかと子・庄太郎が祭祀した。(石碑文)。御嶽教の管轄下にあり、複数の祈祷師がおり、狐落しなどを行っていたという。1946年に北村岩太郎が稲荷教を組織して継承した。
 なお、石室内は適温保持ができることから、蚕の孵化に使用していたともいう。
◆構造 墳丘は北西から南東に位置し、蛇塚古墳に次ぐ全長71mの規模がある。墳丘は2段封土の横穴式前方後円墳になる。中央と前方部2か所にくびれがあり、後円部西側の無袖式、西側くびれ部は、片袖式という特徴的な構造になる。周囲には濠がある。内部には横穴式石室2基あり、銅鏡などが出土した。首長墓の一つとされ、嵯峨野の古墳の中で形状がいまも残る古墳という。
 1887年の発掘調査では、鉄轡(くつわ)、鉄製馬具の破片、銅鏡、勾玉、碧玉類400点あまりが出土した。これらは現在、京都国立博物館、京都大学に保管されている。1978年、京都市の史跡に指定されている。
 現在、伯清稲荷大神関連の鳥居、石塔などが古墳に設けられており、石室内には祭壇も祀られている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都府の歴史散歩 上』『お稲荷さんの起源と信仰のすべて 稲荷大神』『京都大事典』『稲荷信仰と宗教民俗』


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伯清稲荷大明神・天塚古墳 〒616-8116 京都市右京区太秦松本町18  
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