鯖街道口・鯖街道 (京都市上京区)
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鯖街道口・鯖街道 鯖街道口・鯖街道 
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おもな鯖街道概略図
 出町橋の西詰北側に「鯖街道口(さばかいどうぐち)」の石標が立てられている。
 鯖街道口とは、かつて、若狭で獲れた鯖を塩漬けにして、京都まで運んだ鯖街道の帰着地をいう。一般的には若狭街道(若狭路)と呼ばれた。25里(98km)の行程になる。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1591年、出町橋付近の鴨川西岸には、豊臣秀吉による「御土居」が築かれ、出入り口が設けられていた。
 江戸時代、1645年、能登の名物は鯖だったと記されている。(「毛吹草」)
 延宝・貞亨年間(1673-1687)、九里半街道(小浜-今津)の往来が盛んになる。
 1713年、能登では鯖を獲り、「しほもの(魚+巴)に作り諸国に運送す」と記されている。中元日の祝い用として用いられていた。(「和漢三才図会」)
 1767年、「能登の鯖」猟が、若狭に移ったことが記されている。(「若狭考」)
 1776年、若狭で獲れた魚を京都に運ぶ「若狭背負い」について、与謝蕪村が「夏山や通ひなれたる若狭人」と詠んでいる。
 天明年間(1781-1789)、1781年とも、鯖鮨(さばずし)の老舗「いづう」(東山区)が創業した。
 1799年、鯖が「能登の名品」と記されている。(「日本山海名産図会」)
 現代、戦後、「鯖街道」の呼称が生まれたという。
 2001年、鯖街道口の石標が立てられた。
◆鯖街道 鯖街道(若狭街道)とは、若狭の国(現在の福井県小浜)から北前船で陸揚げされた魚、海産物などを九里半街道(小浜-今津)、若狭街道を経て京まで運んだ街道をいう。「魚道」の別称もある。ただ、鯖街道という呼び名については、戦後になって使われた俗称といわれている。
 若狭から京都に運ばれていたのは特産品の塩であり、海産物(塩干しのむし鰈、小鯛)、ほかに、木炭、油粕、穀類、下駄、菜種なども入ってきた。
 若狭街道は、若狭から5つほどの道筋があったという。小浜より丹波八原通(美山)・周山・鷹峯、渋谷(染ヶ谷)・弓削・山国、遠敷(おにゅう)・根来(ねごろ)・久田(久多)・鞍馬、朽木道、湖畔の道などになる。たとえば、小浜市と高浜町から美山、京北、宇多野、鷹峯、上賀茂に通じた。また、京都だけではなく、奈良、飛鳥、丹波篠山などへも運ばれた。平城宮跡から出土した木簡にも交易の記録が残る。千数百年以前に、すでに若狭との往来が始まっていた。道は、海産物、塩、大陸文化なども伝える重要な道筋でもあった。
 若狭湾で早朝に獲れた鯖は、一塩され、滋賀を経て終点の出町柳まで運ばれた。18里(約80km)を、10貫(37.5㎏)、15貫(56㎏)の荷は、負縄一本で担ぎ一昼夜をかけて運んだ。熊川までは女性が運び、午後からは「街道稼ぎ」といわれた男たちが夜を徹して峠を越え、翌日の早朝に入洛した。
 京都に運ばれる頃には熟れて、いい塩加減になった。この「若狭の一塩もん」は、塩鯖、刺鯖、鯖鮨などに加工された。鯖鮨は、若狭の鯖と米どころ近江米が原料になる。酢と昆布でしめ、竹の皮で包んだ押し寿司は、京都では、葵祭、祇園祭などの節々の祭りを彩り、演出し、食されてきた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の地名検証』『京への道』



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