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神山(こうやま) (京都市北区) Mt.Koyama |
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神山 | 神山 |
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![]() 神山 ![]() 鴨川から望む霞たなびく神山(右手の小高い山) ![]() ![]() ![]() 神山、OpenStreetMap Japan ![]() 上賀茂神社の立砂 |
上賀茂神社の北北西約2kmに、上賀茂神社のご神体とされる神山(こう-やま)がある。 神の鎮座する神奈備山(かんなび-やま、神体山)になる。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのみこと)は、この山に降臨したとされ、上賀茂神社の旧鎮座地とされている。 ◆歴史年表 平安時代、843年、山は上賀茂神社の社地になった。 884年、鴨上下太神宮辺河の汚穢禁制になる。同年、太政官符により神山での山狩り(狩猟)が禁じられる。(『類聚三代格』)。ただ、神山が現在の神山を指すかどうかは不明という。 ◆神山 神山(こう-やま)は、上賀茂神社の北北西約2kmにあり、上賀茂神社のご神体とされる。御影山、賀茂山、御生所(みあれ)の山とも呼ばれた。標高は301.5m/301.2mある。 神山は、「かみ-やま」「かも-やま」との音訓があった。「かみ-やま」が公称であり、『勅撰和歌集』にも用いられている。「こう-やま」は俗称とみられ、音訓は中古(646-1192)以降に使用された。「賀茂山」は、江戸時代の幕府に提出した公式の絵図に用いられている。「加毛山」の字もあてた。 神の鎮座する神奈備山(かんなび-やま、神体山)であり、形の整った円錐形をしている。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのみこと)は、この山に降臨したとされ、上賀茂神社の旧鎮座地とされている。神山の山頂にはカモの神の磐境(いわさか)・磐座(いわくら)、巨岩が環状に並ぶ珪石の「垂跡石」(すいじゃく、降臨石)がある。 賀茂祭(葵祭)に先立つ5月12日の夜、上賀茂神社の御阿礼(みあれ)神事では、御休間木(おやすまぎ)にこの神山から神霊を迎え、本殿のご神体に神威を籠めていた。ただ、現在は上賀茂神社に近い丸山(153m)の御阿礼所で行なわれている。神山から丸山に祭場が遷されたともみられている。 神山は禁足地になっており、一般の登山は禁じられている。葵が群生しているという。 ◆歌枕 神山は、上賀茂では歌枕になっている。数多くの勅撰和歌集に詠まれている。 「榊葉も取りにゆくべきかみやまの道は雪にやうづもれぬらむ」(『古今六帖』夏、好忠、一四八四)、「神山のふもとになれしあふひ草ひきわかれても年ぞへにける」(『千載集』夏、前斎院式子内親王、一四七)。 ◆地質 上賀茂神社背後の山地一帯は、地質学的には古・中生代ジュラ紀丹波帯に属している。チャートが多く、ほか珪質頁岩・緑色岩類の黄褐色土砂状に強風化している。 神山の降臨席・磐座もこれらの地質が露岩している。 ◆立砂 上賀茂神社の立砂は、神山をかたどったという。神の依り代となる神籬(ひもろぎ)になる。 白川砂の先端には松葉がさしてある。平安遷都以前、まだ拝殿のない時、ここには二本の御柱が立てられていた。その根元を固めるための盛土の名残りともいう。斎砂を撒き清める風習はここから始まった。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都の地名検証』、『京都大事典』、『賀茂文化 第4号』、 OpenStreetMap Japan ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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