諏訪神社 (京都市下京区)
Suwa-jinja Shrine
諏訪神社  諏訪神社 
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 諏訪町の町名の由来となった小さな社殿の諏訪神社(すわ じんじゃ)は、平安時代以来、武人の信仰を集めていた。
 祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、弟と兄の二神には生産開発、開運招福の信仰がある。
◆歴史年表 平安時代初期、801年、征夷大将軍・坂上田村麻呂(758-811)が、蝦夷、陸奥を鎮圧し、平安京に凱旋した際に、信仰していた信州諏訪大明神を勧請して祀ったのが始まりという。(社伝)。諏訪大明神は、狩猟神、農業神であり、五条坊門の南に広大な敷地を誇っていた。
 平安時代末、1186年、源義経が荒廃していた社殿を再興している。境内は拡張され、樹木が生い茂り、諏訪池という大池もあったという。(「山州名跡志」)
 鎌倉時代以降、武神として信仰を集めた。
 南北朝時代、建武年間(1334-1336)、兵火により焼失する。
 室町時代、足利義満(1358-1408)は新馬を奉納し復興した。 
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1614)、修復される。
 江戸時代、獣肉を食するものは、社の箸を受けて食べれば穢れないという信仰があった。「獣肉を喰ふもの此社の神箸をうけて食す、汚穢なしとぞ」(「都名所図会」)。諏訪大明神が形のみで精進潔斎を行う者よりも、肉を食しても真心を込めて祈る者を救うとされたことに因む。江戸時代初期、境内広く、池には魚鳥群棲した。六条柳町の遊女が参詣した。
 5代将軍・徳川綱吉(在職1680-1709)の時、社殿復興のために、境内で大相撲興行(勧進相撲)も行われた。
 1788年、天明の大火により焼失する。 
 幕末、1864年、禁門の変で類焼した。再建のために、第121代・孝明天皇は150両を寄せたという。
 近代、1867年、現在の建物が再建された。
◆坂上田村麻呂 平安時代初期の武将・坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ、758-811)。渡来系東漢(やまとのあや)氏といわれる。父は大和の苅田麻呂。780年、近衛将監以来、791年、征東副使、795年近衛少将・木工寮の木工頭、796年、陸奥守、鎮守将軍となる。797年、征夷大将軍として東北経営、平定にかかわる。798年、清水寺に仏殿を造る。802年、造胆沢城使の時、蝦夷の族長・阿弖流為、 盤具母礼らが投降する。結果として二人は処刑される。804年、再び征夷大将軍に任じられた。第51代・平城上皇と第52代・嵯峨天皇とが対立した810年の平城太上天皇の変(薬子の変)では、上皇の東国行きを止めた。参議、中納言、正三位大納言まで昇る。
◆年間行事 例祭(9月17日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『京都府の歴史散歩 上』『京都 歴史案内』『京都大事典』


               関連清水寺         
 諏訪神社 〒600-8163 京都市下京区鍵屋町351,諏訪町通的場上る西側  075-361-8981
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