尚徳諏訪神社 (京都市下京区)
Shotoku-Suwa-jinja Shrine
尚徳諏訪神社  尚徳諏訪神社 
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「尚徳諏訪神社」の社号板


「諏訪神社」の社号石標


「諏訪神社」の燈籠


拝殿、本殿


拝殿


本殿


本殿


神紋「諏訪梶」


弁財天社


手水舎


手水舎




「諏訪町通」の町名板
 小社の尚徳諏訪神社(しょうとく-すわ-じんじゃ)は、平安時代以来、武人の信仰を集めた。 かつて、諏訪神社と呼ばれ、下諏訪町の町名の由来になった。
 祭神は諏訪大明神(すわだいみょうじん)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)であり、弟と兄の二神には生産開発、開運招福の信仰がある。ほかに健康・身体安全、家庭円満、商売繁盛などの信仰を集める。旧村社。
◆歴史年表 平安時代初期、801年、10月、征夷大将軍・坂上田村麻呂(758-811)は、蝦夷、陸奥を鎮圧し、平安京に凱旋した。その際に、御礼のために信仰していた信州諏訪大明神を勧請して祀ったのが始まりという。(社伝)。諏訪神社と呼ばれた。
 平安時代末、1186年/1187年、源義経は荒廃していた社殿を再興している。境内は拡張され、樹木が生い茂り、「諏訪池」という大池もあったという。(『山州名跡志』)。また、義経の勧請ともいう。(『坊目誌』)
 鎌倉時代以降、武神として信仰を集める。
 1324年、正中の変の兵火に遭う。
 1331年、元弘の変の兵火に遭った。 
 南北朝時代、建武年間(1334-1336)、兵火により焼失し、その後衰微する。
 室町時代、3代将軍・足利義満(在職: 1369-1395)は、神馬を奉納し境内を復活させた。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1614)、社殿が修復される。
 江戸時代、獣肉を食するものは、社の箸を受けて食べれば穢れないという信仰があった。
 江戸時代初期、境内は広く、池には魚鳥が群棲した。六条柳町の遊女が参詣したという。
 5代将軍・徳川綱吉(在職: 1680-1709)の時、社殿復興のために境内で大相撲興行(勧進相撲)も行われる。
 1788年、天明の大火により焼失する。
 幕末、1864年、禁門の変で類焼した。再建のために、第121代・孝明天皇(在位: 1846-1867)は、金150両、菊御門提灯1対を寄せた。
 1866年/1867年、社殿が再建される。
 近代、1868年、維新の役で幕軍の敗走に伴い、当社、民家も焼払われたともいう。
 1915年、現在の社殿が地元住民の手で建てられたともいう。
 現代、2008年、8月、下諏訪町内会が地縁団体として所有する社として再出発する。社号も「下諏訪諏訪神社」、さらに「尚徳諏訪神社」に改められた。9月、例祭で、寄贈されたこども神輿が練る。
 2009年、5月、改修工事が行われている。
◆坂上田村麻呂 奈良時代-平安時代の武将・坂上田村麻呂(さかのうえ-の-たむらまろ、758-811)。奈良時代の武将・坂上苅田麻呂(かりたまろ)の二男。百済系渡来氏族・漢氏の一族。780年、近衛将監、791年、近衛少尉のまま征東副使の一人として参戦し、793年、陸奥国の蝦夷との戦いで戦功を上げた。795年、京都に凱旋した。近衛少将・木工寮の木工頭、796年、陸奥出羽按察使・陸奥守、鎮守将軍になる。797年、第50代・桓武天皇は、征夷大将軍に任じた。東北経営、平定に関わる。798年、清水寺に仏殿を造る。801年、桓武天皇より節刀を贈られ、4万の兵を率いて戦い、勝利し帰京した。従三位、近衛中将になる。802年、胆沢城を築く。造胆沢城使の時、蝦夷の族長・阿弖流為、 盤具母礼らが投降する。阿弖流為らを伴い入京した。後に2人は処刑される。803年、造志波城使として志波城を築城し、804年、再び征夷大将軍に任じられた。造西大寺長官を兼ねた。805年、参議、3度目の遠征は中止になる。807年、右近衛大将に任じられ、清水寺を創建した。810年、第51代・平城上皇と第52代・嵯峨天皇が対立した平城太上天皇の変(薬子の変)では、嵯峨天皇の側につき、上皇の東国行きを止めた。中納言、兵部卿などを経て、810年、正三位大納言まで昇る。粟田の別業(東山区粟田口)で亡くなる。贈従二位。娘・春子は桓武天皇の後宮に入り、葛井親王を産んだ。
 死後、栗栖野で葬儀が営まれたといわれ、嵯峨天皇の勅により、甲冑、剣、弓矢をつけた姿で棺に納められた。平安京に向かい、立ったまま埋葬されたという。国家に危急ある時、塚の中で大きな音がしたといわれる「将軍塚鳴動」の伝承がある。
 墓地は、現在地の宇治郡栗栖村(山科区栗栖野)、西野山古墳(山科区西野山)、東山山頂の将軍塚(東山区)にも葬られたとされ伝説化した。近代、1895年の「平安遷都1100年祭」に際して、現在地栗栖野の墓が整備された。54歳。
◆源義経 鎌倉時代初期の武士・源義経(みなもと-の-よしつね、1159-1189)。義朝の子。幼名牛若丸、 遮那王とも名乗った。1159年、父が平治の乱で敗死、平氏より逃れる。母・常盤御前は捕えられ、三人の子が寺に入ることを条件に命を許される。義経は、公卿の藤原長成の援助により鞍馬寺・東光坊阿闍梨蓮忍に預けられる。後、禅林坊の覚日のもとへ移る。金商人・吉次にとともに奥州に移る。1180年、兄・頼朝の挙兵し呼応、1183年、頼朝の代官として畿内近国に派遣される。1185年、壇の浦で平氏を滅ぼした。だが、三種の神器の宝剣を回収できず兄・頼朝との対立、畿内近国の支配権を奪われる。後白河法皇による頼朝追討宣旨を得て挙兵するが失敗し、愛妾・静御前と共に吉野に、さらに奥州藤原秀衡を頼り逃れた。だが、その没後、藤原泰衡により衣川の館で討たれ自刃した。31歳。
◆建築 拝殿、本殿が建つ。近代、1866年/1867年、また、1915年に再建されたともいう。
◆御輿 「こども御輿」は、森本錺(かざり)金具製作所が寄贈した。高さ1m。
◆諏訪神社 平安時代、801年10月に、征夷大将軍・坂上田村麻呂(758-811)は、蝦夷、陸奥を鎮圧し、平安京に凱旋した。その際に、信仰していた信州諏訪大明神を勧請し祀ったのが始まりという。(社伝)。諏訪大明神は、狩猟神、農業神であり、五条坊門の南に広大な敷地を誇った。
 なお、当社の神紋は、「諏訪梶」になっている。梶(カジノキ、梶の木)は、クワ科コウゾ属の落葉高木になる。古く梶の葉は食器として使われ、後に神に供える供物用の器として用いられた。そのため神木として崇敬された。諏訪大社(長野県)の神紋も梶になる。上社は「3本梶に根が4本」の「諏訪梶(諏訪梶葉)」、下社は「3本梶に根が5本」の「明神梶(明神梶葉)」に分けられている。各地の分社も同様に分けられていた。
◆末社 弁財天社が祀られている。家運隆昌の信仰がある。
◆江戸時代の信仰 江戸時代に、獣肉を食するものは、社の箸を受けて食べれば穢れないという信仰があった。「獣肉を喰ふもの此社の神箸をうけて食す、汚穢なしとぞ」(『都名所図会』)とある。
 諏訪大明神が、形のみで精進潔斎を行う者よりも、肉を食しても真心を込めて祈る者を救うとされたことに因む。
 諏訪大社上社(長野県)の神事には、鹿の生首を捧げた第一の盛儀「御頭祭(おとうさい)」のほか、獣肉を食しても穢れず障りもないという「鹿食箸(かじきばし)」、御符の「鹿食免(かじきめん)」が伝わる。古来より諏訪地方で行われてきた狩猟・獣肉食の歴史を物語っている。
◆尚徳諏訪神社
 旧諏訪神社は、第二次世界大戦後、京都駅近くの神社神主が兼務し管理していた。その神主の死後、子息がき引き継ぐ。その後、学区内の人に管理が移行されやがて荒廃が進んだ。
 2008年に、当時の尚徳自治連合会会長は、行政との折衝により京都市の地縁団体とすることで神社存続の可能があることを知る。その後、神社本庁に対し被包括関係の廃止手続、京都府文京課には宗教法人の解散手続きをとった。
 さらに、京都府に対して「地縁団体下諏訪町町内会(代表・下諏訪町町内会長)」として法人格を取得した。町内会への土地建物の所有移転を行い、「下諏訪諏訪神社」に改めた。京都市内においての初例になった。
 その後、尚徳自治連合会に拡大し移行した。社名も「尚徳諏訪神社」に改められる。下京中学校(下京区鍵屋町通室町西入への統合で名が消えた、「尚徳」の名を後世に引き継ぐ意図もあった。「尚徳」とは、『論語憲問(けんもん)篇』第十四「君子哉若人 尚徳哉若人(君子なるかな若[かくのごと]き人、徳を尚[たっと]ぶかな若き人 )」に由来する。
 現在の下京中学校の地には、近代、1869年に「下京十六番組小学校」が開校している。その後、「尚徳小学校」を経て、戦後は「尚徳中学校」になった。2007年3月に下京中学校に統合され、尚徳の名は失われた。
◆年間行事 歳旦祭(1月1日)、成人祭(1月15日)、節分祭(2月節分の日)、祈念祭(3月17日)、入学祭(4月上旬)、夏越の大祓(6月30日)、例祭(秋季大祭)(9月第2日曜日)、七五三祭(11月15日)、火焚祭(新嘗祭)(11月17日)、大晦日大祓(12月31日)。
 月次祭・招福祈願祭(毎月1日)、月次祭・長寿祈願祭(毎月17日)。


*年間行事は中止、日時変更の場合があります。
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 「諏訪神社御由緒と御祭神」、「諏訪神社解説板」、諏訪神社駒札、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都府の歴史散歩 上』、『京都 歴史案内』、『京都大事典』、「京都新聞2009年8月29日」、「京都新聞2009年3月18日」、「京都新聞 私の好きなまちの風景地域再発見、日付不明」、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「諏訪市博物館」、ウェブサイト「コトバンク」


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尚徳諏訪神社 〒600-8163 京都市下京区下諏訪町
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