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中之町神祠・松原中之町 (京都市下京区) Nakanocho-shinshi Shrine |
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中之町神祠・松原中之町 | 中之町神祠・松原中之町 |
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![]() ![]() 仲之町神祠 ![]() 7月14日、松原仲之町神祠祭り ![]() 【参照】松原通りの表示板 |
松原中之町(まつばら-なかの-ちょう)の中之町神祠(なかのちょう-しんし)は、松原通に面した町会所に祀られている。祇園床(ぎおん-どこ)と呼ばれている。 かつて、松原通は祇園祭山鉾の巡行路にあたり、当町は長刀鉾町を支援運営する寄町(より-ちょう)になっていた。 祭神は東山天神/牛頭天王を祀った。 ◆歴史年表 江戸時代、「松中ノ町」と呼ばれていた。 1637年、「松原通中町」と記されている。(「洛中絵図」) 現代、1956年、祇園祭の巡行路が変更になり、中之町神祠は長刀鉾町の寄町ではなくなる。 ◆松原中之町 松原中之町は、松原通を挟む両側町になっている。 付近は、平安時代の平安京条坊では、左京五条四坊三保一二町南側・六条四坊四保九町北側に当たる。 江戸時代には単に「松中ノ町」と呼ばれていた。江戸時代前期、1637年には「松原通中町」と記されている。(「洛中絵図」) 松原中之町の町名由来は、近くにあった玉津島神社の松並木にあるという。(『坊目誌』) ◆中之町神祠・祇園会 中之町神祠の創建・変遷の詳細は不明。かつて、「下八坂社」、「元八社」、「田の神社」とも呼ばれたという。八坂郷民は、東山天神を鴨川東岸に祀り、田の神を祀る田の神社を祀ったという。 旧町会所(後に理髪店「祇園床」)は、古くからの住民により組織された「松中会(しょうちゅう-かい)」が管理している。現在、理髪店は営業していない。北側奥庭の中庭に祠があり、頓宮(とんぐう)祇園社が祀られている。祭神は牛頭天王になる。 祇園会に松原中之町は、長刀鉾町の寄町になっていた。毎年、地ノ口(ちのくち、地元の寄付)高は青銅200文を負担していた。 かつて、祇園祭の巡行(7月17日)に際して、当町は巡行路に当たっており、長刀鉾が立ち寄る慣わしがあった。その際に、町中一同で鉾を出迎え、薄茶(水たての抹茶)・神酒などを饗応した。これらの手順は、「長刀鉾町文書」にも記されている。 ◆松原仲之町神祠祭り 「中之町神祠祭り/古式一里塚神饌(中之町御供)」(7月14日)は、町会所(祇園床)で行われる。鏡餅・神酒・「一里塚の松」という小松の根を昆布で巻いたものを立て、車海老を七個盛り付け、左右の土器に揚梅・杏子などを盛る。 同日、長刀鉾の稚児・禿が神祠に参拝する。これらは、祇園祭巡行の際に、かつてこの地が長刀鉾の休憩場所に当たっていた名残の慣わしになる。 ◆お火焚き 「松原中之町お火焚き」(11月上旬-中旬)では、町内会・参列者の供物が三方に載せられ社に供される。紅白の鏡餅・お火焚き饅頭・おこし(粔籹)・みかん・スルメ(鯣)・大根・人参などになる。 八坂神社の神職2人により神事が行われる。祝詞奏上、火焚きの儀と続き、神職により社前で火が焚かれる。神事の終了後に、供物が参列者に分配される。お火焚き饅頭・おこし・蜜柑が町民に配布される。 ◆年間行事 松原中之町神祠祭り/古式一里塚神饌(中之町御供)(7月14日)、松原中之町お火焚き(11月上旬-中旬)。 *年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都の祭り・行事-京都市と府下の諸行事 2』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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