梶井基次郎『檸檬』・八百卯 (京都市中京区) 
KAJII Motojiro,Lemon 
梶井基次郎『檸檬』 梶井基次郎『檸檬』 
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八百卯、寺町二条東南角にかつてあった。


レモンと『檸檬』

 寺寺町二条の東南角にかつて果物屋の「八百卯(やおう)」が店を構えていた。作家・梶井基次郎(かじい もとじろう、1901-1932)ゆかりの店として知られていた。基次郎は、三高入学の18歳より京都に移り、二条大文字町、浄土町、北白川、岡崎などに移り住んだ。その後、1924年に東京に移る。
 いまは八百卯の店はなく、面影の残る建物だけがある。
◆歴史年表 近代、1872年、丸善は二条に書籍、薬を扱う丸屋善吉店京都支店として開店する。
 1879年、果物屋の八百卯は、現在地(寺町二条角)に創業された。 
 1907年、丸善は寺町通(三条通麩屋町)に移る。
 1919年、梶井基次郎は第三高等学校理科甲類に合格する。
 1924年、基次郎は、東京帝国大学文学部英文科に入学する。 
 1932年、基次郎は肺結核で亡くなった。
 1940年、丸善は、河原町通蛸薬師上ルへ移った。 
 現代、2005年、丸善は、133年の歴史を閉じる。
 2009年、130年あまり続いた八百卯は閉店した。
 2015年、丸善は京都BAL内に10年ぶりに再出店した。
◆梶井基次郎 近代の小説家・梶井基次郎(かじい もとじろう、1901-1932)。大阪市生まれ。父は貿易会社に勤める宗太郎、母・ひさの次男。1909年、父の転勤に伴い東京市、1911年、三重県志摩郡に移る。1913年、宇治山田市の三重県立第四中学校へ入学した。1914年、旧制北野中学校へ転入する。1916年、小学校を終えた異母弟・順三が奉公に出され、基次郎は同情し、中学を中退、丁稚となる。1917年、中学へ復学する。1918年、結核性の病になり入院し、この頃より文学に目覚める。1919年、第三高等学校理科甲類に合格した。1920年、肋膜炎により大阪の実家へ帰る。休学し落第、三重県で転地療養、熊野にも行く。肺尖カタル発病により大阪の実家へ戻るが、学校に復学する。1923年、習作『瀬山の話』の断章「檸檬」にあたる部分を書き始めた。1924年、東京帝国大学文学部英文科入学した。1924年、姉一家の住む三重県松阪町で養生する。1925年、同人誌『青空』を創刊し、短編小説『檸檬』、『城のある町にて』を発表した。1926年、『過古』を発表する。川端康成のいる伊豆の湯ヶ島温泉で転地療養する。1927年、『冬の日』、1928年、『蒼穹』『桜の樹の下には』『ある崖上の感情』を発表。1931年、『交尾』、1932年、『のんきな患者』を発表した。肺結核により亡くなる。20篇余りの小品を残す。31歳。
 命日の3月24日は「檸檬忌」になっている。墓は常国寺(大阪市中央区)にある。 
◆檸檬 『檸檬』は次の一文で始まる。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか-」。
 ある朝、「私」は肺尖で熱を帯びた体で、友達の下宿を出て街を歩き回る。寺町二条の果物屋で足を留めた。
 「その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」「またそこの家の美しいのは夜だった」。
 「私」は、その店で珍しく出ていた檸檬を一つだけ買い求める。「いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も」。
 「私」は再び長い間街を歩き、最後に丸善に立ち寄る。「生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。‥私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった」。
 「私」は、積み重ねた画本の上に檸檬を置いてみる。「見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」。「私」は、「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて」店を出ることを思いつく。「変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。‥」。
 作品を覆う憂鬱とは、第一次世界大戦後の景気低迷、大衆の疎外感が影響していた。檸檬とは日常のありふれた善、美の象徴だった。檸檬は名画よりも優位にあるとして、密かに閉塞感を打ち破ろうと試みた。
◆丸善 当時の三高生、定番の散歩は、寺町通を下がり丸善に立ち寄り、京極通から四条通に出るものだった。
 京都の丸善、「丸善京都河原町店」(中京区河原町通蛸薬師上ル)の前身は、1872年、二条に開店した書籍、薬を扱う「丸屋善吉店京都支店」だった。その後、1907年に寺町通(三条通麩屋町)、1940年に河原町通蛸薬師上ルへ店舗は移る。
 『檸檬』で描かれたのは二代目の店舗だった。店では、京都の老舗書店として、和洋書のほかに、衣料、文具なども扱っていた。
 ノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士らも通った。時に、丸善の書棚にそっと檸檬を置いていく客もあったという。2005年秋、店は惜しまれながら133年の歴史を閉じた。
 2015年8月、丸善は10年ぶりに京都BAL内に再出店する。『檸檬』にちなみ、レモン入りのかごを置く。丸善京都本店(中京区河原町通三条下ル山崎町)、地下2階、売り場面積は3300㎡、蔵書数100万冊。
◆八百卯 作品中の「果物屋」は寺町通の同じ場所で「八百卯」(やおう、中京区寺町二条角)の屋号で営業を続けていた。かつての通りは、京都で一番の繁華街だったという。
 八百卯は、1879年に創業された。一階には厳選された高級果物が置かれ、レモンや小説『檸檬』の関連資料も展示してあった。二階は「パーラーYAOU」になっており、フルーツ盛り合わせ、パフェ、フルーツサンドなどが客の人気を集めた。4代目店主が店を引き継ぐ。だが、2009年、130年あまり続いた老舗は閉店した。
 店舗跡は一角にいまも残る。


*参考文献 『檸檬』『文学散歩 作家が歩いた京の道』


                青空文庫『檸檬』       二条大橋      高瀬川          
丸善
 八百卯 京都市中京区寺町二条角 
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