浄土院 (湯沢山茶くれん寺) (京都市上京区)
Jodo-in Temple
浄土院 (湯沢山茶くれん寺) 浄土院 (湯沢山茶くれん寺)
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「豊公遺跡 湯たく山 茶くれん寺 浄土院」の山号寺号石標






本堂





寒山拾得像の焼き物



寒山拾得像の焼き物



地蔵尊



歴代の墓



稲荷社



五輪塔
 今出川通千本西にある浄土院(じょうどいん)は、「湯沢山茶くれん寺(ゆたくさん ちゃくれんじ)」 とも呼ばれ、豊臣秀吉が名付けたという。
 浄土宗の尼寺。本尊は阿弥陀如来坐像。
 京の通称寺霊場6番、湯沢山茶くれん寺。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代、藤原期(894-1285)末、天台宗の般舟院(はんじゅいん)の穏居所として創建されたという。宗印が開基だという。
 安土・桃山時代、1587年、豊臣秀吉は、北野大茶会の際に立ち寄り、茶を求めたという。
 江戸時代、1840年頃、黒谷本山末寺で尼寺になる。 
 近代、1943年、茶席が建てられた。
 現代、1952年、浄土宗本派となる。
◆宗印 平安時代の僧・宗印(しゅういん、?-?)。詳細不明。藤原期(894-1285)末、浄土院を創建したという。
豊臣秀吉 室町時代後期-安土・桃山時代の武将・豊臣秀吉(とよとみ-ひでよし、1537-1598)。幼名は日吉丸、初名は木下藤吉郎、小猿と呼ばれた。父は尾張国(愛知県)の百姓、織田信秀の足軽・木下弥右衛門、母は百姓の娘なか(天瑞院)。1551年、家出、後に今川氏の家臣・松下之綱、1554年、織田信長に仕える。1561年、浅野長勝養女・ねねと結婚し、木下藤吉郎秀吉と名乗った。戦功を重ね、1573年、小谷城主、羽柴姓と筑前守、信長の天下統一にともない西国転戦。1582年、備中高松城の毛利軍と戦いの最中に本能寺の変が起こり、和睦し軍を返し山崎で明智光秀を討つ。1584年、小牧・長久手で織田信雄、徳川家康の連合軍に敗れる。1585年、紀州根来と雑賀、四国・長宗我部元親を服した。関白に進む。1586年、聚楽第、広寺大仏造営に着手、太政大臣に昇り豊臣の姓を賜わる。1587年、九州征討、聚楽第が完成する。10月、北野天満宮で北野大茶湯を催した。1588年、第107代・後陽成天皇が聚楽第行幸、検地、刀狩を行う。1590年、小田原の北条氏直らの征討、朝鮮使を聚楽第に引見、1591年、利休を自刃させる。1592年、文禄の役を始め、甥の養子・秀次に関白職を譲り、太閤と称した。1593年、側室淀殿に秀頼が生まれると、1595年、秀次を謀反人として切腹させ、妻妾子女らも処刑した。1597年-1598年、朝鮮を攻めた慶長の役に敗れた。1598年、3月、醍醐寺で「醍醐の花見」を行う。8月、伏見城で没した。没後、豊国廟に豊国大明神として祀られた。62歳。
◆長次郎 室町時代後期-安土・桃山時代の陶工・長次郎(ちょうじろう、1516?-1592?)。詳細不明。京都生まれともいう。父は陶工で、朝鮮か、中国の渡来人・阿米夜(あめや)ともいう。1579年頃から、千利休の指導により、侘茶に適した鉛釉のかかる黒楽・赤楽茶碗を制作した。中国華南の三彩(交趾[こうち])焼)の技術をもとにしたともいう。手捏ねで成形し、低火度釉をかけ内窯で焼いた。豊臣秀吉にも愛され、聚楽第内の窯でも製陶し、聚楽焼と呼ばれる。1586年、宗易形(利休形)の茶碗を焼く。天正年間(1573-1592)中頃、楽印を拝領し、「聚楽茶碗」を略して「楽茶碗」と称した。飾瓦、香炉、皿、焙烙(ほうろく)なども焼く。代表作は、利休が所持か選んだ「長次郎七種茶碗」になる。
 楽焼の始祖、利休の旧姓を得て田中を称したとも、2代・長次郎が存在したともいう。2世・常慶(宗慶の子)以後に楽姓を名乗った。
◆仏像 本堂には本尊の「阿弥陀如来坐像」(重文)(87.6㎝)が安置されている。平安時代後期、1096年の作になる。右足上の結跏趺坐、上品下生印、背面の墨書銘により僧・寂能作という。木造、木彫漆箔、粉溜。
◆大茶会 安土・桃山時代、1587年11月1日、豊臣秀吉は付近一帯の松原で、「北野大茶会(北野大茶湯)」を催した。千利休と息子の道安が関わったとみられている。
 大茶会は、島津征伐の祝勝と聚楽第落成を記念するものだった。公家、大名、茶人、町人、百姓、唐国の人々も茶道具を持って参会するようにとの触書「定御茶湯之事」により、1000人が茶会に集まったという。秀吉の「黄金の茶室」、茶道具、書画も披露された。だが、当初10日の予定の茶会は、九州隈部親家の一揆により一日だけで終わる。 
 浄土院に名水があると知られていた。当日、秀吉は大茶会に向かう途中で浄土院に立ち寄り、茶を所望したという。住職(宗印?)が一杯目のお茶を出したところ、秀吉は二杯目も欲した。住職は、大茶人でもある秀吉に下手に茶を出すと恥をかくと思った。寺に湧く銀水を沸かした白湯(さゆ、生湯)ばかりを出し続けたという。秀吉は、白湯が続くことに驚いたものの、すぐに住職の意を汲んだ。「お茶をくれん。湯たくさん茶くれん。」といったという。以後、「湯沢山茶くれん寺」の寺号を送り、この通称が生まれたともいう。
 名水の湧いた井戸は今も残る。だが、水はすでに涸れている。
 なお、姫路市の法輪寺(宝林寺)にも、内容は異なるが、秀吉が命名したという「湯沢山茶くれん寺」の伝承がある。
◆楽家 本堂の屋根に、陶製の「寒山拾得像」(30cm)がある。右の寒山は経巻、左の拾得は箒を持つ。安土・桃山時代の陶工で楽家(千家十職の一つ)、楽焼の初代・長次郎の作という。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『仏像めぐりの旅 4 京都 洛中・東山』『秀吉の京をゆく』、『京都大事典』、『京都隠れた史跡100選』、『京都府の歴史散歩 上 、ウェブサイト「コトバンク」


北野天満宮  般舟院             
浄土院 〒602-8321 京都市上京区南上善寺町179,今出川通千本西入ル北側  075-461-0701
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