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| 高市稲荷神社 (京都市下京区) Takechi-inari Shrine |
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| 高市稲荷神社 |
高市稲荷神社 |
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下京区六条通高倉上ル東側に、高市稲荷神社(たけち-いなり-じんじゃ)は祀られている。 祭神は高市大明神(たけちだいみょうじん)、梅春大明神(うめはるだいみょうじん)、荒熊大明神(あらくまだいみょうじん)になる。 ◆歴史年表 創建・変遷の詳細は不明。 ◆升屋町 この地、升屋町(ますや-ちょう)は、平安時代前期、平安京条坊では左京七条四坊一保一町北側であり、平安時代中期以降は、六条高倉小路にあたる。 平安時代後期-鎌倉時代前期の院政期(1086-1192/1068-1221)以前には、町の東半分は棗苑(なつめえん)で、西半分に公卿・六条(藤原)顕季(あきすえ、1055-1123)邸があった。 室町時代前期、1425年旧11月付の「酒屋交名」(「北野天満宮史料」)には「六条高倉西南頬」に「伯耆(ほうき)」の名がある。 江戸時代前期、1637年の「洛中絵図」には、「舛や町」とある。寛永年間(1624-1644)以後、万治年間(1658-1611)以前の「京都全図」には、「舛屋丁」と「留屋丁」に分けられていた。現在の升屋町は舛屋丁にあたる。 近代、明治期(1868-1912)以前は、東本願寺寺内町の新屋敷に属していた。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」 |