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豊吉稲荷神社 (京都府久御山町) Hoyoshi-inari-jinja Shrine |
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豊吉稲荷神社 | 豊吉稲荷神社 |
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![]() 「正一位 豊吉稲荷大明神」の社号標 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
久御山町東一口(ひがし-いもあらい)に、豊吉稲荷神社(ほうよし-いなり-じんじゃ)はある。豊吉稲荷大明神とも呼ばれる。詳細は不明であり、かつて「一口稲荷神社」、「えもあらい稲荷」とも呼ばれていたともいう。 祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ともいう。五穀の神であり、穢清め、疱瘡(ほうそう、天然痘)に霊験あらたかとして知られていたともいう。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 室町時代、武将・太田道灌(1432-1486)の姫(娘)が重い疱瘡に罹り、当社に急使を遣わすと全治したともいう。 ◆太田道灌 室町時代中期-後期の武将・太田道灌(おおた-どうかん、1432-1486)。男性。幼名は鶴千代麿、源六郎、諱は持資(もちすけ)、後に資長(すけなが)とも、法名は春苑道灌。相模(神奈川県)の生まれ。父・関東管領家扇谷 (おうぎがやつ)上杉の家宰・資清(すけきよ)。左衛門大夫、備中守、正五位下に任じられた。1453年、家督を継ぎ上杉定正の家宰になる。1456年-1457年、江戸城を築城し居城にした。この頃、父の指導で岩槻(いわつき)城、河越城の築城にも着手したともいう。1465年、上洛したともいう。1469年頃、道灌父子は、扇谷上杉氏に関わり相武の事実上の支配を行う。1473年、扇谷上杉政真(まさざね)が古河公方(こがくぼう)・足利成氏(しげうじ)との戦いで敗死した五十子(いかつこ)合戦の後、扇谷上杉氏を定正が継ぐ。1474年、江戸城で歌合せを催した。1476年、駿河守護・今川義忠の跡目を巡り、今川氏親と小鹿範満が争った際に、定正の命を受け内紛に介入した。相手方の氏親を支持する北条早雲(伊勢宗瑞)と共に収拾した。在陣中に、長尾景春(かげはる)の反乱が起き江戸に帰る。1477年、武蔵江古田・沼袋原に景春の与党・豊島泰経らを破り、1478年、武蔵小机・鉢形両城を攻略した。同年頃、出家した。1480年にかけ、定正・山内(やまのうち)上杉顕定(あきさだ)を助け、景春方と30余度も戦い鎮圧した。1485年、江戸城静勝軒に定正を招き和歌会、美濃の詩僧・万里集九(ばんり-しゅうく)を江戸城に滞在させ詩歌会を開く。1486年、主君・定正の糟谷(かすや)の館(神奈川県伊勢原市)に招かれた。扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定の讒言(ざんげん)により、主君に謀殺された。55歳。 扇谷上杉氏の家宰、築城家、政治家、兵術家であり農兵を組織的に動かす「足軽之軍法」を編み出し軍法師範とされる。和歌、連歌、漢詩文に優れた。歌集に『花月百首』。 墓は洞昌院(神奈川県)、大慈寺(神奈川県)に首塚ある。 ◆疱瘡・太田姫稲荷神社 豊吉稲荷神社、一口稲荷神社、太田姫稲荷神社(東京都)などに関してのいくつかの伝承があり、詳細については不明。 かつて、京都山城国の一口(いもあらい)に「一口稲荷神社」が祀られ、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神にしていたという。近郷近在の人々の信仰を集め、「えもあらい稲荷」とも呼ばれていた。五穀の神であり、穢も清め、平安時代の小野篁(802-852/853)にまつわる縁起により疱瘡(ほうそう、天然痘)に霊験があらたかだったという。 室町時代に、関東一帯に疱瘡が流行し、太田道灌(1432-1486)の最愛の姫(娘)も重い病を罹った。道灌は一口稲荷神社の噂を聞き及び、一口稲荷神社に急使を遣わして平癒祈願した。幾日も経ずに、急使が祈祷の幣を捧げて帰った。姫の病は日ごとに良くなり全治したという。(『太田姫稲荷神社縁起』) この一口稲荷神社とは、豊吉稲荷神社だったともいう。 室町時代中期、1457年に、寺社奉行だった道灌は、相模国の守護・上杉定正(1443-1494)の命により江戸城を築く。その際の鬼門除けとして旧江戸城内に京都より一口稲荷社を勧請したという。 江戸時代前期、1606年に、徳川家康(1542-1616)は江戸城増築を行い、稲荷社を城外鬼門の神田川の畔(現在の東京都千代田区神田駿河台4丁目、後に架けられた聖橋南詰の東側)に遷した。 近代、1872年に、東京府より村社に定められ、「太田姫稲荷神社」と改称している。1931年には、現在地(東京都千代田区神田駿河台1-2)に遷された。 なお、一口稲荷神社とは、平安時代前期、839年に小野篁が創建したともいう。篁は太田姫命(おおたひめのみこと)と名乗る白髪の老翁から、疱瘡除けのために自身を祀るようにとの神託を受けたという。太田姫命は、江戸城内に祀られた後に、道灌の前に狐に化して現れ鬼門に祀れと告げたともいう。 この一口稲荷神社とは豊吉稲荷神社とされたことについては不確定とされ、伏見稲荷大社の稲荷山36番に祀られている「豊吉稲荷」と関連があるとも、疱瘡にまつわる太田姫とは、道灌の姫(娘)ではなく、この女神・太田姫命ともされる。 ◆年間行事 火焚祭(農作物の収穫に感謝し、地域の繁栄を祈願する)(11月3日)。 ❊年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 「くみやま文化・歴史ガイド 久御山」、ウェブサイト「千代田区・神田公園地区連合町会」、ウェブサイト「散歩日記東京近郊ぶらり散歩日記」、ウェブサイト「玉田神社」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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