平安京 民部省跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heian-kyo Ministry of Popular Affairs
平安京 民部省跡  
平安京 民部省跡  
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home


 京都市立二条中学校の東側塀に、「平安京 民部省跡(へいあんきょう-みんぶしょう-あと)」の説明板が設置されている。
 民部省は、律令国家下の国家財政の計画を立てる中枢官庁だった。
◆歴史年表 平安時代、976年、6月、大地震の余震により民部省の3棟が倒壊した。
 鎌倉時代以降、有名無実化している。
 1212年、火災により朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などが類焼した。(『方丈記』)
  現代、1983年、京都市立二条中学公の校庭で行われた発掘調査で、民部省南辺にあった東西方向の築地(南垣)が見つかる。
 2012年、3月、京都市埋蔵文化財研究所・京都考古資料館の説明板が設置された。
◆民部省 民部省は律令制の二官八省の一つであり、太政官(だじょうかん/おおいまつりごとのつかさ)の左弁官局(さべんかんきょく)に属した。飛鳥時代の天武朝(672-686)、飛鳥浄御原令制下では「民官」と呼ばれた。「かきのつかさ」、「たみのつかさ」とも読まれた。646年の大化改新後の官制にもあり、701年の大宝律令で「民部省」と改称される。平安時代には私的土地所有が増大し、次第に力を失う。鎌倉時代以降は有名無実化した。
 諸国の戸口、戸籍、山川、道路、租税、賦役などに関することを司った。長官は正四位相当の民部卿であり、その下に大少輔各1人(正従五位下)、大丞1人(正六位下)、少丞12人(従六位上)大録1人(正七位上)、少録3人(正八位上)などの官人がいた。
 平安京では、朝堂院の東、太政官の南に位置した。諸国の民政、財政を担当した。南東に中央財政の収支を計算する主計寮(かずえりょう/しゅけいりょう)、南西に地方の財政収支を監査する主税寮(ちからりょう/しゅぜいりょう)があった。予算編成を行う最も重要な役所の一つだった。
 976年の6月の大地震の余震により民部省の3棟が倒壊している。
 1983年の京都市立二条中学校校庭での発掘調査で、民部省南辺にあった東西方向の築地(南垣)が見つかった。築地南側に沿って、瓦が落ちた状態で放置されていた。瓦は平安時代中期までのものに限られ、地震で倒壊したと見られている。
 西辺築地、塀の角部も確認され、民部省の東西幅は57丈(170m)だったことが確定した。調査地からは、底部に「主税□□ 五月一日」と墨書された灰釉陶器椀が出土した。民部省南西に主税寮が建てられていたと見られている。
◆主税町 付近の主税町は「ちから-ちょう」、「しゅぜい-ちょう」とも呼ばれる。
 平安京大内裏では、東は西院から宮内省、西は朝堂院、北は中務省・陰陽寮、南は民部省の範囲にわたる跡地になる。(『拾芥抄』)
 近代、1872年に上京区に編入される。1874年に民有になり、主税町と命名された。付近に平安京大内裏の主税寮があった。(『坊目誌』)。このため、主税町と名付けられた。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市埋蔵文化財研究所・京都考古資料館の説明板、『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area  周辺,surrounding area   関連,relevance     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 平安京 民部省跡 〒602-8155 京都市上京区主税町
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光