平安宮 民部省跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Мimbusho(Government district)
平安宮 民部省跡  
平安宮 民部省跡  
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京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板



平安宮復元図、現在地は赤い点の部分、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より

平安宮復元図、民部省は赤線の四角内、京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の説明板より
 京都市立二条中学校の東側フェンスに、「平安宮 民部省跡(へいあんきゅう-みんぶしょう-あと)」の説明板が設置されている。 
 平安時代、この地には民部省があった。中央、地方の財政を掌握し、予算編成も行う最も忙しい役所だった。
◆歴史年表 平安時代、この地に民部省が置かれた。
 976年、6月、大地震の余震で民部省の建物3棟が倒壊している。(『日本紀略』)
 鎌倉時代以降、有名無実化した。
 1212年、「火出で来て西北に至る。はてには、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などまで移りて」と記されている。(『方丈記』)
 1226年、9月、文庫などが盗まれた。(『百錬抄』)
 現代、1973年より、二条中学校の校庭での発掘調査が行われた。民部省南辺にあった東西方向の築地(南垣)が見つかる。
 2012年、3月 京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館は説明板を設置した。
民部省 律令制下の民部省(みんぶしょう)は、国家の重要省庁である二官八省の一つだった。太政官左弁官局に所属し、朝堂院の東、太政官の南に位置した。
 飛鳥時代の天武朝(672-686)、飛鳥浄御原令制下では「民官」と呼ばれた。「かきのつかさ」、「たみのつかさ」とも読まれた。646年の大化改新後の官制にもあり、701年の大宝律令で「民部省」と改称される。
 平安京では、朝堂院の東、太政官の南に位置した。東西56丈(168m)、南北34丈(102m)あった。現在の二条中学校に大部分は含まれている。中央北半に政庁、南西に主税寮、南東に主計寮があった。
 民政一般を総括し、中央、地方の財政を掌握した。予算編成も行い、最も繁忙な官司だった。南東に中央財政の収支を計算する主計寮(しゅけい)、南西に地方の財政収支を監査する主税寮(しゅぜい)を置いた。全国の戸口戸籍、租庸調(そようちょう)、家人(けにん)、私奴婢(しぬひ)、賦役、道路、橋、津済(しんさい)、山川、田畑などを管轄した。
 職員は、長官である卿(かみ、正四位下相当の民部卿)1人、大輔(だいすけ)1人、少輔1人、大丞(だいじょう)1人、少丞2人、大録(だいさかん)1人、少録3人の四等官以下、史生(ししょう)10人、省掌(しょうしょう)2人、使部(しぶ)60人、直丁4人があった。
 平安時代には私的土地所有が増大し、次第に力を失ったという。平安時代中期、976年6月の大地震の余震では朝堂院、豊楽院などとともに民部省の建物3棟が倒壊している。鎌倉時代以降は有名無実化した。
◆発掘調査 京都市立二条中学校の校庭で発掘調査は行われた。民部省の大半は校地内に位置していた。
 ◈1973年に発掘調査が始まる。1975年に、民部省南辺にあった東西方向の築地南垣が見つかった。平安宮跡の築地跡として初例になる。塀の基底幅3m、南側に犬行幅0.9mがあった。
 築地の南側に沿い、大量の瓦がずり落ち、放置された状態で出土していた。瓦は平安時代中期までのものに限られていた。平安時代中期、976年の大地震により倒壊した築地跡と考えられている。
 ◈1981年の調査で、民部省南面築地、西辺築地、築地隅部も確認され、民部省の東西幅が57丈(170m)であることが明らかになった。
 西面築地内溝から土器底部に「主税□□ 五月一日」と墨書された灰釉陶器椀が出土した。民部省の南西部に主税寮が配されていることが判明した。
 ほかに、灰釉薬陶器の薬壺、風字硯、製塩土器などが見つかった。
 ◈1983年に西面築地(南北16m、東西38m、基底部4.2m)が見つかった。内溝(幅1.4m、深さ0.4m)もあった。南面築地の内溝(幅3.4m、深さ0.4m)があり、下は暗渠になっていた。外溝(幅2-2.6m)は南面築地付近で途切れていた。南面築地塀は冷泉小路北側築地の延長線上になる。
 柱穴(東西4間、南北2間)は、西・南面築地塀内側5mにあり柵列とみられている。平安時代前期の土坑が見つかっている。平安時代中期以降の処理土坑では、築地倒壊後の埋め戻しが行われていた。
◆主税寮 主税寮(しゅぜいりょう/ちからりょう)は、律令制で民部省に属した。諸国の田租(でんそ)、米穀類の倉庫(倉廩)の出納などを監督した役所だった。
 従五位上相当の頭を長官、助、允、属以下の役職があり、租税を勘定する算師もあった。
◆主税町 付近の主税町は「ちから-ちょう」、「しゅぜい-ちょう」とも呼ばれる。
 平安京大内裏では、東は西院から宮内省、西は朝堂院、北は中務省・陰陽寮、南は民部省の範囲にわたる跡地になる。(『拾芥抄』)
 近代、1872年に上京区に編入される。1874年に民有になり、主税町と命名された。付近に平安京大内裏の主税寮があった。(『坊目誌』)。このため、主税町と名付けられた。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市埋蔵文化財研究所・京都考古資料館の説明板、『京都市の地名』、『平安京ガイド』、『京都市文化財ブックス28集 平安京』、ウェブサイト「コトバンク」


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