小野小町双紙洗水遺跡 (京都市上京区)  
Ruins of Ono no Komachi
小野小町双紙洗水遺跡 小野小町双紙洗水遺跡
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home


「小野小町 双紙洗水 遺跡」の石標


「小野小町 双紙洗水 遺跡」の石標の南側、小町通と記されている。

 堀川に注いでいたかつての小川の傍らに、「小野小町双(雙)紙洗水遺跡(おののこまち-そうしあらい-の-みず-いせき)」の石標が立つ。
 平安時代の歌人・小野小町にまつわる「小町の井戸」が湧いていたという。周辺には小町通の通り名があった。
◆歴史年表 
年代不詳、この地にはかつて、「清和水」、「更級水」とも呼ばれる名水が湧いたという。
 
江戸時代、この地は謡曲の名所になり、井戸の傍らに小町塔が立てられていたという。
◆小野小町 
平安時代前期の歌人・小野小町(おのの-こまち、809?/815?/826?-901?/898?)。詳細不明。小野氏の出という。出羽国(山形県・秋田 県)の郡司良真(よしざね)・当澄(まさずみ)・常澄・篁(たかむら)・小野滝雄・藤原常嗣(つねつぐ)・洛北・市原の小野良実の娘、美材(よしき)・好古(よしふる)らの従妹、篁の孫娘などともいう。小町とは禁中局の名称とされ、本名は小野比右姫ともいう。采女(うねめ)とも、第54代・仁明天皇、第55代・文徳天皇の更衣(こうい)、氏女(うじめ)、中(ちゅうろう)女房ともいう。文徳・清和・陽成年間(850-884)、承和・貞観年間中頃 (834-868頃) に活動した。文屋康秀、凡河内躬恒、在原業平、安倍清行、小野貞樹、僧遍昭らとの歌の贈答がある。恋の歌に特徴あり、漢詩の表現に通じた。『古今集』以下の勅撰集に 60首余入集、『三十六人集』の一つ後人撰家集『小町集』がある。
 六歌仙・三十六歌仙の一人。絶世の美女として歌舞伎、義太夫、謡曲など「小町物」の題材になった。深草少将の百夜通い、化粧水、姿見の池、草紙洗いの井などの遺跡が各地にある。
◆大友黒主 平安時代前期の歌人・官吏・大友黒主(おおとも-の-くろぬし、?-?)。詳細不明。大伴、名は志賀黒主。近江(滋賀県)大友郷の大友村主の一族、大領ともいう。園城寺の神祠別当だったともいう。862年、近江滋賀郡の長官として、園城寺(三井寺)別当に円珍を任じる旨を国司に要請した。寛平年間(889-898)、歌人として活躍した。887年頃、「中将御息所歌合」に詠進した。897年、第60代・醍醐天皇の大嘗会に風俗歌を奉る。917年、宇多法皇(第59代)の石山寺参詣の際に、打出の浜で和歌を献じた。歌は古今集『後撰和歌集』『拾遺和歌集』などに収録された。
 六歌仙の一人。謡曲・歌舞伎などの題材になった。能の「志賀」にシテとし、「草子洗小町」にワキ(悪役)として、小町に対抗し辱める歌詠みとして登場する。伝承として第39代・弘文天皇の末裔、猿丸大夫の子、陰陽師だったともいう。
◆双紙洗水遺跡 「小野小町双紙洗水遺跡」といわれる石標は、平安時代の歌人・小野小町にまつわるという。かつてこの地に「小町の井戸」が湧いていたという。
 謡曲「草(双)紙洗小町」では、宮中の歌合で小野小町と対戦した大友黒主は、小町の歌が『万葉集』の古歌からの盗作であると訴え小町を辱めた。黒主は、証拠になるとされた『万葉集』の草子(草紙双紙)を突きつけた。だが、加筆改竄の跡があり、小町は墨付きを怪しむ。庭の遣り水、「御遣水(みかわみず)」を注ぐと、歌の文字が流れ消え企みが露呈したという。
 この地にかつて「清和水」、「更級水」という京の名水が湧いたという。江戸時代には、小町が草子を洗った地と伝えられ、謡曲の名所になった。「小町の井戸」の傍らに、「小町塔」が立てられていたという。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area  周辺,surrounding area堀川  周辺,surrounding area一条戻橋    関連,relevance     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 小野小町双紙洗水遺跡 〒602-0955 京都市上京区竪富田町438-31,一条通堀川東入ル北側
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光