蓮久寺 (京都市下京区)  
Renkyu-ji Temple
蓮久寺 蓮久寺
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 松屋町通五条下ルに蓮久寺(れんきゅぅじ)はある。山号は光照山という。2代目・吉野太夫が寄進した赤門が建つ。
 日蓮宗、旧本山は妙覚寺だった。諸芸能上達の信仰がある。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代、2代目・吉野太夫(よしの-だゆう、1606-1643)が赤門を寄進した。
 2005年、三木大雲(みき-だいうん)が第38代住職に就任した。
◆吉野太夫 江戸時代前期の遊女・2代目・吉野太夫(よしの-だゆう、1606-1643)。松田徳子。京都・方広寺(大仏)付近の生まれ。父は西国の武士・松田武左衛門。1613年、7歳で父没後、六条三筋町扇屋林与次兵衛に禿(かむろ)として預けられ、「林弥」と名乗る。1620年、14歳で太夫になった。当初は「浮舟」と呼ばれる。廓の桜を見て「ここにさへさぞな吉野は花盛り」と詠み「吉野」を襲名した。島原、六条三筋町の「六条の七人衆」の筆頭、「寛永三名妓」の一人で、「天下随一の太夫」と謳われた。美貌と品格、和歌、俳諧、書、茶湯、琴、琵琶、笙、香道、華道囲碁、双六など諸芸に秀でた。名声は江戸、遠くは中国にまで及ぶ。常照寺の日乾に帰依し、1628年、山門を寄進する。紺灰業の豪商・灰屋紹益(佐野重孝)は、後水尾上皇(第108代)の弟・関白・近衛信尋と吉野を争い、1631年、紹益に26歳で身請けされ、その妻になる。東山・音羽川畔に暮らした。38歳。
 遺言により常照寺(北区)に葬られた。
 好んだ茶席の丸窓に吉野窓、名物裂(めいぶつぎれ)に「吉野間道(かんとう)」がある。
◆三木大雲 現代の日蓮宗の僧・三木大雲(みき-だいうん、1972-)。怪談和尚。京都の生まれ。僧・三木随法の次男。平安高校を経て、東京・立正大学仏教学部に進学した。大学在学中に、日蓮宗宗立谷中学寮(東京都)、宗立熊谷学寮(埼玉県)で学ぶ。2005年、京都・蓮久寺の第38代住職に就任した。
 怪談に法華経を絡めた「怪談説法」を行う。
◆赤升大黒天 赤升大黒天が安置されている。
 現住職が就任してすぐに大黒天が夢に現れたという。本堂に大黒天は祀られていなかった。夢があまりに鮮明だったため寺中を捜すと、かなり傷んだ大黒天が見つかった。
 急いで修復すると、お布施を寄せた人々からの吉報が続いた。大黒天のご利益が評判になり、大黒天の分体を要望する声が寄せられた。分体が造られ、赤門に因み赤升大黒天と名付けられた。
◆建築 赤門は西面している。吉野太夫が、日乾(1560-1635)に帰依し法華経信仰の道に入った際に、島原・蓮久寺と鷹峯・常照寺の二門を寄進したという。
 当時の門に揚げられていた棟板が現存しており、本堂に奉られている。
◆年間行事 年始祈祷会(1月)、年始祈祷会(2月)、春季彼岸会(3月)、盂蘭盆施餓鬼法要(8月)、秋季彼岸会(9月)。
 月例法要、甲子の大黒祭(年6回甲子の日)。


通常非公開、要予約
年間行事は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「蓮久寺」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 蓮久寺 〒600-8374 京都市下京区藪ノ内町607松屋町通五条下ル phone
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