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法経済学部本館 (京都市左京区) Faculty of Law and Faculty of Economics Main Bbuilding,Kyoto University |
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法経済学部本館 | 法経済学部本館 |
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![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、西翼 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側、回廊 ![]() 西翼、南側、回廊 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、南側 ![]() 西翼、東側 ![]() 西翼、西側 ![]() 中央、南側 ![]() 中央、北側、正面玄関 ![]() 中央、北側、正面玄関 ![]() 中央、北側、、正面玄関 ![]() 中央、北側、正面玄関 ![]() 中央、北側、正面玄関 ![]() 中央、北側、玄関内部 ![]() 中央、南側 ![]() 中央、南側 ![]() 中央、南側 ![]() 中央、南側 ![]() 中央、南側 ![]() 東翼、東側 ![]() 東翼、東側 ![]() 東翼、南側 ![]() |
京都大学本部構内に、法経済学部本館(ほうけいがくぶ-ほんかん)はある。 設計は、近現代の建築学者・建築家・大倉三郎による。 ◆歴史年表 近代、1902年、初代の法科大学講義室が竣工する。 1933年、法経済学部本館の西翼が竣工した。「法経新館」と呼ばれた。 1938年、中央が竣工する。 現代、1952年、東翼が竣工した。 ◆大倉 三郎 近現代の建築学者・建築家・大倉 三郎(おおくら-さぶろう、1900- 1983)。男性。京都市の生まれ。1923年、京都帝国大学工学部建築学科を卒業(第1期生)し、宗建築事務所に入る。1928年、京都帝国大学営繕課に入り、武田五一の指導を受ける。1930年より、京都帝国大学営繕課長になる。1940年、台湾総督府技師営繕課長になった。1946年、台湾行政長官公署留用、国立台湾大学工学部土木学科教授に就任した。1948年、帰国した。1949年、大阪工業大学教授、1951年、京都工芸繊維大学教授になる。1955年、工学博士を取得する。1957年、「ゴットフリート・ゼムベーの建築論的研究」で日本建築学会賞を受賞した。1960年-1973年、京都府建築士会会長になる。1962年-1966年、京都工芸繊維大学学長、1967年-1977年、西日本工業大学学長を歴任した。83歳。 主な作品は、萬年社京都支社(1925、現存せず)、ヴォヤージュドゥルミエール京都七条迎賓館(旧鴻池銀行七条支店、旧若林仏具製作所、1927)、京都大学農学部演習林事務室(1931)、京都大学法学部経済学部本館(1933)、龍谷大学図書館(1936)、台北州立台北第三高等女学校(1939)など。 ◆建築 ◈初代の「法科大学講義室」は、近代、1902年に竣工する。木造平屋建だった。 ◈「法経済学部本館」は、近代、1933年に当初は西翼が竣工した。「法経新館」と呼ばれていた。その後、全体の設計は終了していたにもかかわらず、工事は太平洋戦争(1941-1945)を挟み3期19年に及ぶ。1938年に中央が竣工する。戦後の1952年に東翼が竣工し全体が完成した。 建物の規模は大きく、平面は「コ」の字型になる。中央、西翼、東翼により構成されている。中央は北面し、両翼は南面する。各棟の正面外観は、ネオ・ゴシック(18-19世紀前半に興った新古典主義)的な柱を入口周りに配している。 両翼の玄関ポーチの5本柱も鋭角で、六角柱様の壁体が両脇に突き出している。その間の頂部には三角の出窓が迫り出している。中央玄関にも同様の柱4本がそそり立つ。両翼にある南北方向の回廊には八角柱が建つ。全面に褐色のタイルを貼っている。 西翼東西行17.1m、南北行43.2m、東翼東西17.4m、南北43.8m、全体の東西行112.6m、軒高17.9m。鉄筋コンクリート造3階建、地下1階、陸屋根。 *内部は通常非公開 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都市の近代化遺産 近代建築編』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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