京都印刷発祥之地の記念碑 (京都市中京区)  
Monument of the birthplace of Kyoto printing
京都印刷発祥之地の記念碑 京都印刷発祥之地の記念碑
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逆文字の「京都印刷発祥之地の記念碑」、副碑


碑の頭部、「京」の逆文字


「京すりもの ここに始まる」


赤い色の部分が京都點林堂の場所になる。南に三条通、中央の縦の部分が烏丸通、上部に姉小路通(1873年の地租改正の頃)、案内板より


浮世絵


ツゲ


鶴、アオギリ


プラタナス、鐘馗
 京都市地下鉄烏丸御池駅構内の南改札口から、北改札口へ通じるコンコース階の途中に、「京都印刷発祥之地の記念碑(きょうと-いんさつ-はっしょう-の-ち-の-きねんひ)」が立てられている。
 京都初の近代印刷技術による印刷所「京都點林堂(きょうと-てんりんどう)」が付近にあった。
◆歴史年表 近代、1870年、通詞・技術者・本木昌造は、民間初の活版所(長崎新町)を創設している。
 1871年、12月、昌造は、京都に門人・古川種次郎を派遣する。種次郎は京都で「點林堂(てんりんどう)印刷所」を開設した。その後、山鹿善兵衛、その子息らが経営を受け継ぐ。
 1875年、春、昌造は関西に出向いた。体調をくずしており、「大阪活版製造所」の谷口黙次(初代)、「京都點林堂」の山鹿善兵衛(栢年)、東京から駆けつけた昌造の門人・平野富二らが介護している。
 1888年、「點林堂」の所在地として「上京区(現・中京区)第廿八組烏丸三條北場[塲]之町三十三番戸」と記されている。(「京都府官報」)
 1923年、點林堂の50周年に合資組織に改められ、伊東幸祐が代表社員になった。
 現代、1970年頃まで、點林堂は存続していたという。
 2010年、5月、京都府印刷工業組合により、現在の「京都印刷発祥之地の記念碑」が立てられた。
◆本木昌造 江戸時代後期-近代の通詞・技術者・本木昌造(もとき-しょうぞう、1824-1875)。字は永久、号は梧窓(ごそう)、点林堂。長崎の生まれ。馬田又次右衛門の子/乙名北島三弥太の4男。1834年/1835年、母の実家・オランダ通詞の本木昌左衛門の養子になり、6代目を継ぐ。西欧技術、印刷、活字製造に興味を持つ。1844年、オランダ使節・コープスが長崎を訪れ、通訳を行う。1848年、通詞仲間・北村元助、品川藤兵衛、楢林量一郎らとオランダより蘭書植字版、印刷機を、買い入れる。日本初の鉛活字輸入になる。1851年、流し込み活字製造を案出した。自著辞書『蘭和通弁』を自ら製作した鉛活字、オランダ輸入の印刷機で印刷した。1853年、小通詞過人になる。ロシア使節・プチャーチンが長崎に来航した際に通訳した。1854年、ロシア使節・プチャーチンの通訳として下田に赴く。軍艦「ディアナ号」が伊豆で地震により難破し、伊豆戸田(へだ)でロシア艦建造(軍艦打建)の検分役になる。代船「ヘダ号」の建造に関係した。この際に、西洋造船術を習得する。1855年、幕府の長崎海軍伝習所が開設され、海軍伝習掛になり通訳を行う。甲比丹ドンケル・キュルシュス、医師・ファン・デン・ブルグに、化学、物理、数学、測量、石炭技術、製鉄学、航海術などを学ぶ。長崎・活字判摺立所の御用係(立方摺立掛)になり、出島オランダ印刷所に勤務した。蘭書を覆刻し、兵学、医学、会話書を印刷刊行する。造船・海運について由緒書を提出する。1857年、活版師・インデルマウルが新製植字の仕法を伝授する。1858年、長男・昌太郎、妻・縫没が亡くなる。1860年、幕府の「長崎飽ノ浦(あくのうら)製鉄所(現・三菱重工長崎造船所)」の御用掛に任命される。1861年、長崎製鉄所で蒸気船「ヴィクトリア号」、「チャールス号」を買い入れ、船長として操縦する。1863年、4月、「チャールス号」で大阪、紀州、7月、「ヴィクトリア号」で小倉へ航行する。1864年、11月、「ヴィクトリア号」で下田を出港し、八丈島で漂流した。1865年、9月、江戸経由で長崎に帰る。1868年、日本初の地方紙「崎陽雑報」を発行する。 木活字と金属活字の混合により印刷した。7月、長崎製鉄所頭取役を命じられる。浜町・築町間に日本初の鉄橋(西ノ浜鉄橋、くろがね橋)を架ける。1869年、学塾「新街私塾」(長崎新町)を開き、維持費を得るために同製鉄所構内に「活版伝習所」(唐通事会所跡)を開く。製鉄局機関伝習方教頭になる。上海からアメリカ合衆国の宣教師・上海美華書館館長・ウィリアム・ガンブル(William Gamble)を迎える。上海美華書館から活字、活字鋳造機、印刷機などを買い付けた。洋式活版印刷技術を初めて導入する。金属活字の鋳造法に学び、母型による鋳造活字(電胎鋳造母型)を完成させた。事業は門下・平野富二によって継承された。1870年、頭取を辞任し、民間初の「新町活版所」を新街私塾内に創設した。校正記号は、外国の方式を勘案し和文向きに作成した。明朝鋳造活字を使用し、『保建大記』を刊行する。大阪・鉄橋(高麗橋)を架ける。3月、「長崎新塾出張大阪活版所」を開設した。(酒井三造・小幡正蔵)。10月、横浜・「活版所」を開設する(陽其二・上原鶴寿)。12月、日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」を発行する。京都で「點林堂印刷所」を開設する。(古川種次郎ほか)。1871年、東京・「活版所支場」(神田)を設置した。(富二)。10月、東京・「小幡活版所」を開業する。1872年、東京・「長崎新塾出張活版製造所」を開設する。(富二)。1873年、東京・「平野活版所」として築地に移転する。(後、1885年、東京築地活版製造所)。52歳。
 墓は長崎・大光寺にある。1912年、従五位を追贈される。
 1868年、和文用の号数活字の系列を整備した。号数によって大きさを規定した印刷用の和文活字であり、初号1号-最小8号まで9種あった。和文活字の書体の明朝活字、新塾開設などを行う。門下・平野富二、陽其二(よう-そのじ)らとともに、近代日本の活版印刷技術の先駆者といわれている。
◆古川種次郎 近代の実業家・古川種次郎(?-?)。詳細不明。本木昌造の門人。1871年12月、昌造により京都に派遣され、「點林堂(てんりんどう)印刷所」を開設した。
◆山鹿栢年 近代の実業家・山鹿栢年(やまが-はくねん、?-?)。詳細不明。善兵衛。1870年、本木昌造の門人・古川穂次郎が印刷業「點林堂(てんりんどう)」を開業した。栢年などが継ぎ、後に三條柳馬場東に移転した。明治期(1868-1912)/1868年、「捨庵(すてあん)」が売りに出され、嵯峨の旧家が譲り受けた。栢年に提供される。向去去来の結んだ「落柿舎」は旧地に戻り、8世・庵主に就く。
◆京都點林堂 近代、1870年12月に、京都の山鹿善兵衛(栢年)の要請により、本木昌造の門人・古川種次郎が京都に派遣される。善兵衛の父は昌造の弟子だったという。京都點林堂(烏丸通三条上ル)が開設された。後に、1870年3月に開設された酒井三造・小幡正蔵による長崎新塾出張大阪活版所の支店になった。
 1875年春、昌造は東京から関西に出向いている。体調をくずした。「大阪活版製造所」の谷口黙次(初代)、「京都點林堂」の山鹿善兵衛(栢年)、東京から駆けつけた門人・平野富二らが介護した。善兵衛が庵主だった嵯峨野「落柿舎」で静養し帰崎した。同年9月に昌造は長崎で病没している。
 京都點林堂は、その後、善兵衛、その子息らが経営を受け継いでいる。1888年、「點林堂」(上京区第廿八組烏丸三條北場[塲]之町三十三番戸、現・中京区)と記されている。(「京都府官報」、1888年9月24日)。後に三條柳馬場東に移転したという。
 1923年に點林堂50周年を機に合資組織に改められ、伊東幸祐が代表社員になった。1970年頃までは存続していたという。
◆記念碑 「京都印刷発祥之地の記念碑」は、2010年5月に京都府印刷工業組合により立てられた。1888年に點林堂の所在地は、「上京区第廿八組烏丸三條北場[塲]之町三十三番戸」と記されている。(「京都府官報」1888年9月24日)。この住所に一番近い地として、京都市営地下鉄烏丸御池駅構内に立てられた。
 記念碑は活字の形を模している。「ネッキ」という半円の溝が碑の下部にある。頭部には、活字に因み逆文字の「京」の字がある。「京都印刷発祥之地」の文字もあえて逆文字になっている。台石の下に、字母が埋めてある。活字は、活字鋳造機にこの字母を取り付け、鉛を主にした活字地金を流し込んで作成する。
 高さ1.6m、40cm角(特級黒御影石)、台座は1m×2m(特級錆系御影石)。
 「背面の絵画」は、関本徹生・京都造形芸術大学教授により作成された。描かれている「ツゲ」は、かつて活字、活字の字母の元になる父型もツゲの木で作成されていたことに因む。「浮世絵」は、刷り物として普及した木版画、「プラタナス」は平和の木、「鐘馗」は魔物を追い払う意味がある。「鶴」は不明。「アオギリ」は、生命力、子孫繁栄、平和、愛、言葉(言霊)の象徴という。 
 一面の大きさ横1.1m、高さ2.4m。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 京都印刷発祥之地の記念碑碑文・案内板、ウェブサイト「『京都印刷発祥之地の記念碑』由来 - 京都府印刷工業組合」、ウェブサイト「長崎県印刷工業組合-本木昌造の足跡」、ウェブサイト「朗文堂 吉雄圭斎と八丈島漂着を共にした本木昌造・平野富二 」、『本木昌造伝』、ウェブサイト「平野富二:明治産業近代化のパイオニア」、ウェブサイト「コトバンク」


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