京都関電ビルディング(旧京都電燈会社) (京都市下京区)  
Kyoto Kansai Electric Power building
京都関電ビルディング(旧京都電燈会社) 京都関電ビルディング(旧京都電燈会社)
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南側


南側


南東角


南側

南側、入口


西側


西側
 京都駅前の京都関電ビルディング(関西電力京都支社)は、かつて京都電燈会社の本社屋だった。
 意匠設計は近代の建築家・武田五一、構造設計は内藤多仲による。
◆歴史年表 近代、1937年、現在地に京都電燈会社の本社屋として竣工した。
 現代、1945年、戦後に京都関電ビルディングになる。
 2003年、DOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれた。
◆武田五一 近代の建築家・学者・武田五一(たけだ-ごいち、1872-1938)。 広島県生まれ。父は備後福山藩士・官僚・平之助。父の赴任に従い、神戸、姫路、岐阜、高知に住む。1888年、京都第3高等中学校補充科に入学した。1897年、帝国大学(東京帝国大学)造家学科(建築学科)を首席卒業し、同大学院に進学した。1899年、大学院中退後、東京帝大助教授に任じられる。1901年-1903年、ヨーロッパに留学し、アール・ヌーボー、ゼツェッシオンなどを体験する。帰国後、1903年、京都高等工芸学校図案科教授になる。1904年、京都府技師を兼任した。1907年、福島行信邸 (東京)で、日本初のウィーン・ゼツェッシオンの様式を試みた。アール・ヌーボーの造形を紹介する。1908年、大蔵省臨時建築部技師を兼任し、国会議事堂建築のために欧米視察した。1915年、工学博士学位を授与された。1916年、法隆寺壁画保存会委員、1917年、片岡安らと関西建築協会を設立する。1918年、名古屋高工校長に転任した。1920年-1932年、京都大学建築学科創立とともに教授になる。1931年、欧米出張し、19カ国を訪れた。1934年以来、法隆寺大修理の工事事務所長を務める。65歳。
 「関西建築界の父」といわれた。奈良・京都の古社寺保存修復、橋梁、記念碑、街路施設、家具意匠、染色なども手掛けた。代表作は東方文化学院京都研究所(1930)、日本初のゼツェッシオン建築とされる東京・福島邸(1905)、京都府立図書館(1909)、円山公園(1912)、東方文化学院京都研究所(1930)など数多い。葵橋、賀茂大橋などもある。
◆内藤多仲 近現代の建築構造技術者・建築構造学者・内藤多仲(ないとう-たちゅう、1886-1970)。山梨の生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校、東京帝国大学(現在の東京大学)造船学に入学し、後に建築学に移り、佐野利器に師事した。1910年、東京帝国大学卒業後、1913年、早稲田大学教授になる。1917年-1918年、アメリカ留学し、帰国後に耐震壁による耐震構造理論を考案した。1924年、「架構建築耐震構造論」で工学博士号を取得する。1938年、溶接学会会長に就く。1941年、日本建築学会会長、1943年、早稲田大学理工学部長に就任した。1954年、日本学術会議会員になる。1960年、日本学士院会員。1962年、文化功労者に選ばれた。1964年、勲二等旭日重光章を叙する。1970年、従三位。墓は多磨霊園内にある。84歳。
 高層建築の耐震構造法を確立し、日本地震工学振興会会長などを歴任した。「耐震構造の父」「塔博士」と呼ばれた。主な作品に、耐震壁を取り入れた鉄骨鉄筋コンクリート造の旧日本興業銀行本店(構造設計、1923)があり、関東大震災でも耐震性が実証される。ほかに、歌舞伎座(1923)、名古屋テレビ塔(1954)、2代目・通天閣(1956)、札幌テレビ塔(1957)、東京タワー(1958)などがある。
◆建築 近代、1937年に京都電燈会社の本社屋として竣工した。意匠設計は武田五一であり、晩年の大作になる。構造設計は構造学者・内藤多仲による。2003年に、DOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選ばれた。関西モダニズムの一画期をなす作品とされている。
 南面している。外観は柱型、梁型の格子の中に大きく窓が配置されている。実際に荷重を支えるのは1本置きの柱であり、間は付け柱になる。ただ、耐震構造になっている。南東角部、セットバックした8階の南東隅は曲線壁になっている。平面はL字形になる。外壁には、正方形の黄褐色のタイルを貼る。正面入口(エントランス)の周辺は、3階下まで黒御影石貼りになる。全体として、装飾的な要素は抑制されている。かつて、7階ベランダのパラペット(手摺壁)上端に間接照明が組み込まれ、屋上の塔はガラス棒で包まれ、ライトアップされていた。
 内部は、玄関ホールにドーム状の天井があった。現在は、ドアの位置変更があり、目立たなくなった。
 施工は錢高組。鉄筋コンクリート造、8階地下1階建、敷地面積3376㎡、建設面積1263.73m、延べ床面積10619.73㎡。
◆京都電燈会社 1888年に、京都電燈会社(社長・田中源太郎)は、当初、河原町通蛸薬師下ルに創立された。1889年に開業し、火力発電所、蒸気機関による低圧式電力で、先斗町、四条通、五条通の灯火用電力を供給した。1892年に琵琶湖疏水を利用した水力発電での供給を開始する。1915年以降は、三条通以北を京都市、以南は京都電燈の営業区域になった。1918年に嵐山電気軌道を合併し鉄道業も兼ねる。1937年に現在の本社ビルを竣工する。1942年に配電統制令により電力会社が統合され、関西配電株式会社が創立される。1945年、戦後になり関西電力株式会社になった。


*内部は通常非公開
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 『京都の洋館』、『関西のモダニズム建築20選』、『武田五一建築標本』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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