旧島津製作所河原町別館(フォーチュンガーデン京都) (京都市中京区)  
former Shimadzu Corporation Kawaramachi annex
旧島津製作所河原町別館 旧島津製作所河原町別館
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東側

東側


東側、正面


東側


東側、柱頭飾


東側

東側


東側


東側

東側

東側

東側


南東角


南側


北東角

北東


北東

南東角
 河原町通押小路上ルの旧島津製作所河原町別館(きゅう-しまづせいさくしょ-かわらまちべっかん)は、旧本社として使用された。実施設計は近代の建築家・荒川義夫による。
 現在は、「フォーチュンガーデン京都」のレストラン、結婚式場などに再利用されている。
◆歴史年表 近代、1903年、当初は現在地の河原町通沿に工場が建てられた。
 1925年、河原町通の拡張に伴い、工場敷地が縮小される。
 1927年、11月、現在地は事務所に変更され、島津製作所の旧本社家屋が竣工した。
 現代、2012年 、2 月、 耐震改修され、「フォーチュンガーデン京都」が竣工した。
◆初代・島津源蔵 江戸時代後期-近代の製造業者・発明家・初代・島津源蔵(しまづ-げんぞう、1839-1894)。仏器三具足製造業・島津清兵衛の次男。当初は鍛冶工をしていた。1860年、木屋町二条に家業・仏具の鋳物業を出店した。1875年、島津製作所(木屋町二条)を創業し、当初は学校教材用の実験器具(真空ポンプ、避雷針など)の製造、販売を始めた。1877年、第1回内国勧業博覧会に錫製の医用ブジー(細い管)を出品し、褒賞を受ける。独学で製作した日本初の有人軽気球(水素ガス)で仙洞御所広場で36m飛揚に成功した。1878年、京都舎密局に招かれたドイツ人科学者・ワグネルに師事する。理化学器械の製法、ドイツ製足踏み式木製旋盤の操作法を学ぶ。1882年、物理器械掲載の『理化器械目録表』を発行する。1886年、月刊『理化学的工芸雑誌』創刊した。1891年、博物学標本の製造を始めた。55歳。
◆2代目・島津源蔵 近現代の実業家・発明家・2代目・島津源蔵(しまづ-げんぞう、1869-1951)。京都生まれ。幼名は梅治郎。初代・源蔵の長男。小学校を2年でやめる。1875年、父が興した個人創業の島津製作所(木屋町二条)で理化学器械の製造を手伝う。独学で理化学を学んだ。1884年、15歳で日本初の静電発電機、ウイムシャースト式感応起電機(「島津の電気」)を独学で製作し、理科教材として使用された。1887年、父の後任として京都師範学校金属工科教師を兼ねる。小学校教員学力検定試験委員に任じられた。1894年、父没後、2代目・源蔵を襲名し島津製作所主になる。弟・源吉、常三郎らと経営にあたる。1896年、第三高等学校・村岡範為馳教授は、X線写真撮影に成功した。島津製作所は実験場所、電源のウイムシャースト式感応起電機を提供し、源蔵、源吉も実験を助けた。1897年、蓄電池製造に成功する。1898年、国内初のX線写真の撮影に成功する。1908年、クロライド式鉛蓄電池(GS蓄電池)を販売開始する。「GS」とは「島津源蔵」のイニシャルに拠った。1908年、国産初の医療用X線装置を完成する。1916年、光学測定器(カセトメータ)の製造を開始した。1917年、島津製作所は株式会社に改組され、社長に就任する。蓄電池部門を独立させ、日本電池(現・株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーション)を分離独立し創業した。産業用大型蓄電池の工業的製造に成功し、品質向上、価格低下をはかる。1919年、機械的方法による亜酸化鉛粉末製造に成功する。1920年、易反応性鉛粉製造法を発明した。産業用大形据置き蓄電池の電極のための装置で、欧米各国で特許を得る。1930年、「日本十大発明家」の一人に選ばれた。82歳。
 生涯で12カ国、170件の特許を取得している。
◆荒川義夫 近代の建築家・荒川義夫(?-?)。詳細不明。建築家・武田五一の教え子。1927年、竣工した島津製作所河原町別館を実施設計した。
◆建築 近代、1927年に島津製作所河原町別館は本社屋として建築された。設計顧問は武田五一であり基本設計を行った。実施設計は弟子の荒川義夫、中野進一らによると見られている。鉄筋コンクリート造建築物であり、当時の日本では先駆的な試みだった。
 外観はロマネスク風(10世紀末-12世紀にヨーロッパで起きた石造の厚い壁、半円アーチを持つ)を取り入れた柱頭(最上部の刳形)、三角形の意匠などが特徴になる。武田五一により取り入れられた、アール・ヌーボー(19世紀末-20世紀初めにフランスを中心に流行し、植物模様・曲線が特徴)、セセッション(ゼセッション、分離派。9世紀末のドイツ・オーストリアなどで起き、生活・機能と結びついた直線的、実用的なもの)も見られる。
 帝冠様式の萌芽もある。これは、1930年代に伊東忠太、佐野利器、武田五一らが推進した。鉄筋コンクリート・鉄骨の洋式建築を基本にし、日本の伝統的な屋根を載せた和洋折衷の建築様式だった。国内・満州国などの公共機関の庁舎に多く用いられた。
 ファサード(正面入口)は3層構成になっている。玄関部分、腰部分には大谷石(栃木県宇都宮市大谷町産の凝灰岩)を貼っている。玄関周りに柱頭飾が施されている。3階部分にアーチ窓を並べる。なお、アーチ型窓、照明などは南隣の京都市役所庁舎(共同設計は武田五一・中野進一)との類似性がある。
 内部は当時としては珍しい 9mスパン(支柱間)の大空間が広がり、鉄骨が埋め込まれていた。装飾を施したハンチ(端部の断面が他の部分より大きい)付の梁と直天井になっている。当初は、1階に事務室、2階に貴賓室・応接室・陳列室、3階に講堂、4階にレントゲン室・実験室があった。
 2012年の耐震改修工事により、外部照明、スチールサッシュ(鋼製建具)・ガラスが補修された。旧式の蛇腹扉付エレベーターのジャバラ飾が復元・補修された。
 施工は清水組による。鉄筋コンクリート造4階建。敷地面積は1516.55㎡。
◆島津製作所 島津製作所は、1875年に初代・島津源蔵(1839-1870)が木屋町二条下ル(島津創業記念館)に創業した。1903年に生産規模拡大に伴い、現在地の河原町通沿いに工場が建設された。
 他方、1919年に朱雀野村(西京区桑原町)に三条工場が建てられている。1881年に現在地の河原町通拡張により工場敷地が縮小され事務所になる。1927年に現在の本社屋が建てられた。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「FORTUNE GARDEN KYOTO基礎・地中梁増設による耐震性の向上歴史的建築物『島津製作所旧本社』の保存再生-ノム建築設計室」、『京都の洋館』、『京都大事典』、ウェブサイト「島津創業記念資料館」、ウェブサイト「コトバンク」


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