高山彦九郎皇居望拝之像 (京都市東山区)  
Bronze statue of Takayama,Hikokuro
高山彦九郎皇居望拝之像 高山彦九郎皇居望拝之像
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home

高山彦九郎皇居望拝之像







「高山彦九郎正之」の東郷平八郎の揮毫


「東郷平八郎」

「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑、菅原正敬(徳富蘇峰)書

「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑

「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑


「高山彦九郎先生正之御直筆歌碑」


高山彦九郎の歌碑
 三条大橋の東詰南側に、「高山彦九郎皇居望拝之像(たかやま-ひこくろう-こうきょ-ぼうはい-の-ぞう)」がある。
 江戸時代の勤王家・高山彦九郎は、京都に出入りする際に、京都御所に向かって拝礼していたという。
◆歴史年表 
江戸時代、1764年、高山彦九郎は18歳で上洛した。
 1791年、彦九郎は、密かに天皇を拝したという。(『京都日記』)
 近代、1928年、11月、初代の彦九郎の銅像が立てられた。
 1944年、太平洋戦争中の金属供出により銅像は撤去される。11月、「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑が立てられる。
 現代、1961年、高山彦九郎大人顕彰会の寄贈により、現在の銅像が再建された。
◆高山彦九郎 江戸時代中期-後期の勤王家・高山彦九郎(たかやま- ひこくろう、1747-1793)。上野(こうずけ)の生まれ。名は正之(まさゆき)、字は仲縄、通称は彦九郎。旧家郷士・貞正(さだまさ)/良左衛門の次男。先祖は武将・新田義貞という。13歳頃、『太平記』を読み、尊王論者になる。1764年、18歳で上洛し公卿らと親交した。儒者・河野恕斎(じょさい)に学び、儒者・皆川湛園らと交わる。水戸藩の儒学・藤田幽谷(ゆうこく)、公卿・中山愛親(なるちか)らと交る。1789年、江戸に行き、1790年、水戸、奥州、ロシア南下を憂い蝦夷松前に渡航した。諸国を遊歴し、勤王論、海防を説く。幕吏に追われ、1793年、九州旅行の途中に、筑後久留米の森嘉膳邸で切腹した。幕府に行動を監視され、悲憤したためともいう。47歳。贈正四位。墓所は遍照寺(久留米市)にある。
 1789年-1793年、尊号一件が起きた。第119代・光格天皇が父・閑院宮典仁(すけひと)親王に、太上天皇の尊号を贈ろうとし、幕府に拒否された。(尊号一件/尊号事件)。彦九郎は事件の結末に失望し、足利尊氏の墓を鞭打ったという。「寛政三奇士(三奇人)(ほかに林子平、蒲生君平)」の一人とされた。
◆高山彦九郎像  ◈三条大橋の東詰南側に、江戸時代の勤皇思想家・高山彦九郎像皇居望拝の像がある。皇居跪拝(きはい、ひざまずいて礼拝する)像として知られている。彦九郎は、三条大橋付近を通る度に、荒れ果てた京都御所を憂い、その方角を向いて平伏したという。現在の像も、京都御所の方角に向けられている。
 彦九郎は1764年に18歳で上洛した。京都を都合5回訪れ、白木屋(堺町通夷川下ル)、篆刻家・書画家・高芙蓉(こう-ふよう、1722-1784)宅(衣棚通夷川上ル)などに止宿した。儒学者・皆川淇園(みながわ-きえん、1735-1807)、儒学者・中井竹山(なかい-ちくざん、1730-1804)、儒学者・詩人・頼春水(らい-しゅんすい、1746-1816)、儒学者・詩人・菅茶山(かん-ちゃざん/さざん、1748-1827)らと交る。
 彦九郎は、大学建設の件、尊号一件/尊号事件などをめぐり有力者と交流した。幕末の勤王志士に影響を与えた。戦前の尋常小学校の修身教育では、彦九郎の逸話が必ず取り上げられた。
  ◈初代の銅像は1928年に作られている。太平洋戦時中の1944年に金属回収令で像は供出された。その後、現在の銅像は1961年に再建された。「高山彦九郎皇居望拝之像」の碑には海軍大将・元帥・東郷平八郎(とうごう-へいはちろう、1848-1934)の揮毫がある。
 1944年11月建立の「高山彦九郎先生皇居望拝之址」の碑は、言論人・評論家・徳富蘇峰(菅原正敬)(とくとみ-そほう、1863-1957)の揮毫による。像の金属供出後に偲んで立てられている。
◆歌碑  ◈彦九郎の詠んだ直筆歌碑が立つ。詞書として1791年3月15日に、「恐れみおそれみつつしみ謹(つつし)みてよめる」とある。「 われをわれとしろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ」(「愛国百人一首」58番)と刻まれている。
◆短歌・サノサ節  ◈江戸時代末期の歌人・国学者・橘曙覧(たちばな-あけみ、1812-1868)は、彦九郎を詠んでいる。「大御門(おおみかど、皇居)その方向きて橋の上に項根(うなね、首の付け根)突きむけむ真心たふと」。 
  ◈近代、明治期(1868-1912)中頃に流行った「サノサ節」で彦九郎をについて歌われた。「人は武士/気概は高山彦三郎/京の三条の橋の上/遥かに皇居を伏し拝み/落つる涙は鴨の水アサノサ」と謡われた。 


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市観光部振興課・高山彦九郎大人顕彰会の碑文、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area三条大橋・三条河原  周辺,surrounding area  関連,relevance京都御所・京都御苑1   関連,relevance     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 高山彦九郎皇居望拝之像 〒605-0009 京都市東山区大橋町
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光