鳥取藩京都藩邸跡 (京都市上京区)  
The ruins of residence of Totsutori Domain
鳥取藩京都藩邸跡 鳥取藩京都藩邸跡
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「因州鳥取藩京都藩邸跡」の京都市の金属製駒札
 東堀川通中立売下ル東側の一角に、「因州鳥取藩京都藩邸跡(いんしゅう-とっとりはん-きょうとはんてい-あと)」と記した京都市の駒札が立てられている。
 この地には、江戸時代に鳥取藩京都藩邸が置かれていた。
◆歴史年表 江戸時代初期、鳥取藩邸は油小路下立売下ルにあった。
 1864年、2月、鳥取藩は御所の西側、東堀川通中立売下ル東側に、新京都藩邸の工事に着手する。4月、上棟し藩邸は移される。
◆池田慶徳 江戸時代後期-近代の大名・池田慶徳(いけだ-よしのり、1837-1877)。初名は昭徳、号は省山。江戸本邸で生まれた。水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の5男、母は松波春子。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜は異母弟になる。1850年、池田慶栄(よしたか)の跡を継ぎ、養子になり因幡鳥取藩主池田(松平)家12代になる。安政年間(1854-1860)、側用人・田村貞彦らを登用し藩政改革を推進した。幕末、藩内の尊攘派と保守派の対立の板挟みになる。1864年、第1次長州征討には出兵する。以後、長州を弁護し、大政奉還論を唱えた。1868年-1869年、戊辰戦争で朝廷側に立つ。1872年、隠居した。最後の藩主になる。41歳。
◆鳥取藩京都藩邸 因州鳥取藩は、因幡(いなば)国邑美(おうみ)郡鳥取(現在の鳥取市)に藩庁をおいた外様藩になる。安土・桃山時代、1600年の関ヶ原の戦いで西軍に付いた宮部氏に代わり、池田信輝(いけだ-のぶてる、恒興)の3男・羽柴秀吉の養子・長吉(ながよし、1570-1614)が入封して立藩になった。近代、1871年、廃藩置県で鳥取県になる。
 鳥取藩の京都藩邸は、かつて油小路下立売にあった。ただ、参勤交代で藩主が立ち寄っていたのは伏見藩邸だった。幕末、1862-1863年、最後の藩主になった12代・池田慶徳は、度々上洛し幕府、朝廷間の周旋を行っている。
 京都藩邸の政治的な重要性が増した。1864年2月、御所の西側、現在地に新京都藩邸(東堀川通中立売下ル東側)の建設に着手する。同年、4月21日に上棟している。
 藩邸の西側は東堀川通、北側は中立売通、東側に正門があり油小路通に、南側は上長者町通に面していた。一町四方あり、当時の絵図面によると敷地は3932坪(12998.㎡)あった。
 なお、鳥取藩は、1864年に北野大将軍の西(御土居の外)にも新屋敷を建てている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 京都市の駒札、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 鳥取藩京都藩邸跡 〒602-8066 京都市上京区東橋詰町,東堀川通中立売下ル東、南側
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