光照寺 (京都市山科区北花山)  
Kosho-ji Temple
光照寺 光照寺
50音索引,Japanese alphabetical orderホーム,Home 50音索引,Japanese alphabetical orderホーム,Home





「圓光大師御旧跡」の石標


本堂
 北花山(きたかざん)の旧東海道に面して光照寺(こうしょうじ)がある。法然が乱を逃れて一時住した旧跡になる。
 山号は頂後山、院号は源空院という。
 浄土宗、金戒光明寺末、本尊は阿弥陀如来。
 御朱印が授与される。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代-奈良時代、行基(668-749)が草創したという。(寺伝)
 平安時代、1183年、木曽義仲の入洛に対し、法然は金戒光明寺の庵室より山伝いに逃れ、当寺の行基が結んだ草庵に身を隠したという。(寺伝)
 鎌倉時代、800年以上前、光照法師が再興し、浄土宗に改宗された。名に因み「光照寺」と名付けられたという。(寺伝)
 年代不明、観誉閑月が法然の旧跡を慕い、堂宇を再建し住したともいう。当寺の中興開山になる。 
行基 飛鳥時代-奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。百済系の渡来人・高志(こし)氏。河内国(大阪府)の生まれ。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受けた。畿内に道場、寺を建立し、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で、詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれた。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し太宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見した。743年、東大寺大仏造営の勧進になった。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられる。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人。 80/82歳。
◆法然 平安時代後期-鎌倉時代前期の浄土宗の僧・法然(ほうねん、1133-1212)。諱は源空、勅諡は円光大師、明照大師、通称は黒谷上人、吉水上人、幼名は勢至丸。美作国(岡山県)に生まれた。父は押領使・漆間時国、母は秦氏。1141年、9歳の時、父は夜襲により目前で殺される。父は出家を遺言する。天台宗菩提寺の叔父・観覚のもとに預けられた。1145年、13歳で比叡山に上り、西塔北谷の持法(宝)房源光に師事した。1147年、皇円の下で出家受戒する。1150年、西塔黒谷慈眼坊叡空の庵室に入り、浄土宗に傾く。法然房源空と名乗る。1156年、比叡山を下り清凉寺に参籠し、南都学匠も歴訪する。再び比叡山に戻り、黒谷報恩蔵で20年に渡り一切経を5回読む。1175年、唐の浄土宗の祖・善導の「観無量寿経疏」の称名念仏を知り、比叡山を下りた。善導は、阿弥陀仏の誓った本願を信じ、ひたすら念仏を唱えれば、善人悪人を問わず、阿弥陀仏の力により必ず阿弥陀仏の浄土である極楽に生まれ変わることができるとした。西山、広谷(後の粟生光明寺)の念仏の聖・遊蓮房円照に住した。東山吉水に草庵(吉水の善坊)に移り、阿弥陀仏を崇拝し、ひたすら南無阿弥陀仏を口で唱える専修念仏の道場になる。1186年/1189年、天台僧らとの大原談義(大原問答)で専修念仏を説く。1190年、東大寺で浄土三部経を講じる。1201年、親鸞が入門した。1204年、延暦寺衆徒による専修念仏停止を天台座主に要請した「元久の法難」が起きる。「七箇条制誡」を定め、弟子190人の連署得て天台座主に提出する。1206年、後鳥羽上皇(第82代)の寵愛した女官(鈴虫、松虫)らが出家した事件「承元(建永)の法難」により、専修念仏の停止(ちょうじ)になり、1207年、法然は四国・讃岐へ流罪になる。10カ月後に赦免されたが入洛は許されず、摂津・勝尾寺に住む。1211年、ようやく帰京した。草庵は荒れ果て、青蓮院の慈円僧正により、大谷の禅房(勢至堂付近)に移る。1212年、ここで亡くなった。『選択本願念仏集』(1198)、『一枚起草文』(1212)などを著す。80歳。
◆御影など  ◈「御影」は、法然自作とされる。
  ◈「地蔵尊」は、法然が母から送られた手紙を張ったという。
◆法然の逸話 平安時代、1183年、木曽義仲の入洛に対し、宗祖・法然は乱を避け、金戒光明寺の庵室より山伝いに逃げた。当寺の行基が結んだ草庵に移り、身を隠したという。末世まで自らの旧跡であることを示すために、自身の木像を彫み安置したという。
 法然は、瘧(おこり、マラリアの一種)病に罹り、高熱に苦しんでいたという。弟子・聖覚は松葉を燻(くす)べて病を退散させた。村人はお粥を作って差し出した。法然の病は治癒し、金戒光明寺に戻ったという。
 以来、例年の法然の報恩法要の御忌会には、青松5駄、賽銭5貫文、玄米1斗5升を飾牛に積んで奉納する慣わしになったという。  


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都府山科町誌』、『山科事典』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area  周辺,surrounding area大乗寺  関連,relevance金戒光明寺(黒谷)・京都守護職     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 光照寺 〒607-8472 京都市山科区北花山山田町57  075-581-2406    
50音索引,Japanese alphabetical orderホーム,Hometop 50音索引,Japanese alphabetical orderホーム,Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光