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大日寺跡 (京都市山科区) Site of Dainichi-ji Temple |
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大日寺跡 | 大日寺跡 |
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![]() 「大日寺跡」の石標 ![]() 周辺の景観 ![]() 周辺の水田 |
勧修寺北大日町(かんしゅうじ-きただいにち-ちょう)の丘陵地には田畑などが広がる。その一角に、「大日寺跡(だいにちじ-あと)」の石標が立てられている。 この地には、平安時代初期-中期に、大日寺があったという。名刹として知られた。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代前期、この地に大日寺が創建されたという。 平安時代中期、寺は存在していた。 天永-保安年間(1110-1124)頃、説話集に当寺が記されている。(『今昔物語集』巻15』) 鎌倉時代中期頃、当寺が記されている。(『拾芥抄(しゅうがいしょう)』) 近代、1936年頃、この地から、緑釉骨壺、土器、瓦などが発見された。正式な発掘調査は行われなかった。 現代、1976年、京都洛東ライオンズクラブにより石標が立てられた。 ◆大日寺 大日寺について、詳細は分かっていない。北大日町の地名は、当寺に由来するとみられている。 平安時代初期に創建され、中期までは存在したとみられている。丘陵南斜面の2町四方に境内があったという。 天永-保安年間 (1110-1124) 頃の説話集『今昔物語集』巻15に、当寺の「大日寺の僧広道往生の語」が収められている。『延喜式』主税上の「摂津国大日寺」とは当寺ともいう。鎌倉時代中期頃の『拾芥抄(しゅうがいしょう)』の諸寺部にも、当寺が記されている。 1936年頃、この地から、緑釉骨壺、土器、瓦などが発見された。緑釉骨壺(高さ17.5㎝)(重文)は、平安時代初期の骨臓器であり、火葬後に埋納された。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都市の地名』ね『山科の歴史を歩く』、『昭和京都名所図会 6 洛南』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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