左阿弥 (京都市左京区)  
Saami
左阿弥 左阿弥
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「左阿弥」の扁額


「織田頼長公居跡」の石標
 安養寺の塔頭である真葛ヶ原(まくずがはら)の左阿弥(さあみ)は、安養寺六坊「六阿弥」中の唯一の遺構になる。「長寿庵」、「長寿院」とも呼ばれた。
 いまも円山公園内に茶懐石の料亭として残る。
◆歴史年表 江戸時代初期、慶長年間(1596-1615)、晩年の織田頼長はこの地に暮らした。頼長の建立によるという。安養寺の総門北側にあり西面して建っていた。頼長は作庭も行っている。
 1849年(1625年とも)、料亭として開かれている。
 近代以後、御前会議に使われたという。
 近年、建て替えられている。
織田頼長 安土・桃山時代-江戸時代前期の武将・茶人・織田頼長(おだ よりなが、1582-1620)。尾張(愛知県)生まれ。号は道八など、法号は雲生寺。織田有楽斎(うらくさい)の次男。父に茶道を学ぶ。1614年、大坂冬の陣で、父から徳川方への味方を勧められ、従わずに出家した。茶を極める。晩年は東山に住む。39歳。
 左阿弥(左京区)に墓がある。
◆茶会 有楽斎の茶会では、邸内の吉水の井水を用いたという。
◆茶室 建仁寺・五温和尚と伊藤和尚合作の茶室「遍松庵」、富岡鉄斎席開きの「寛楽」など5茶室がある。
◆貸席 貸席「左阿弥」は、江戸時代、1849年に開かれた。「山根子(やまねこ)」によって踊られる真葛(まくず)踊りが人気を博していた。
 町芸妓の山根子は、「東山芸妓」「円山芸妓」とも呼ばれた。山根子は、比叡山の僧が常に呼ぶ子、「山の子」の転化という。起源は、北政所(1549-1624、高台院湖月尼)に仕えた侍女にあるという。
 六阿弥、双林寺などの貸席で、山根子は揃いの着物で総踊り、群舞を披露していた。新撰組局長・近藤勇(1834-1868)も左阿弥に通った。
◆名物 かつて、左阿弥には名物として微醤(ひしお)、梅諸(うめづけ)、欠餅(かきもち)があったという。
◆投宿者 投宿者としては、東征大総督・有栖川宮熾仁親王(1835-1895)、軍人・政治家の山県有朋(1838-1922) 、思想家・漢詩人・文人の頼山陽(1780-1832) 、画家・土田麦僊(ばくせん、1887-1936) 、小説家・川端康成(1899-1972) 、小説家・志賀直哉(1883-1971) などがいる。
◆文学 左阿弥は小説の舞台としても登場する。
 志賀直哉『暗夜行路』では、主人公・時任謙作が直子と挙式した場として使われた。
 川端康成の『古都』では、千枝子の会食の場として登場する。川端の『美しさと哀しみと』でも、主人公・上野音子が左阿弥と思われる座敷に上る。
◆墓 邸内に、頼長の墓(道八塔)という江戸時代の五輪石塔(4m)が立つ。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 左阿弥 〒605-0071 京都市東山区円山町7-3
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