肉弾(爆弾)三勇士の墓 (京都市東山区)  
Grave of Three human Bombs
肉弾(爆弾)三勇士の墓 肉弾(爆弾)三勇士の墓
50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home





周辺に立つ旧日本陸軍兵士の墓石群
 西大谷の墓地に「日支事変 肉弾三勇士之墓(にっしじへん-にくだん-さんゆうし-の-はか)」の巨大な墓が立てられている。
 肉弾三勇士(爆弾三勇士)とは、第1次上海事変下で爆死した旧日本陸軍兵士3人をいう。その後、3人は「軍神」として神格化された。
◆歴史年表 近代、1932年、2月22日、久留米工兵第十八大隊一等兵の江下武二、北川丞、作江伊之助の3人は、上海事変の廟行鎮(びょうこうちん)で爆死した。
 1932年、3月8日、三勇士に西本願寺より特別院号が贈られる。光照法王は染筆を贈る。
 3月10日 三勇士の遺族が西本願寺の戦死者追弔会に参拝した。
 3月12日、院号伝達式が西本願寺の本山真実閣で行われた。
 3月29日、西本願寺で三勇士本葬が行われる。
 4月26日、遺骨が西大谷本廟に納められた。
 6月5日、建立碑の寄付を全末寺に求める。
 11月2日、建碑敷地は、西大谷の西川氏墓所の一部に決定した。
 1933年、2月23日、西大谷に墓碑が建立される。3月11日、西大谷で建碑の除幕式が行われた。遺族は、1000円の永代経を献納する。4月13日、上海の団が墓参している。
◆江下武二 近代の陸軍軍人・江下武二(えした-たけじ、1910-1932)。佐賀県生まれ。1931年、久留米工兵第十八大隊に入隊し、工兵隊一等兵になる。1932年、上海事変に出征した。2月22日、廟行鎮で中国軍陣地の鉄条網破壊のために、点火した爆薬破壊筒を抱え突進し爆死した。23歳。
 戦死後、伍長に特進した。「爆弾三勇士」の一人。
◆北川丞 近代の陸軍軍人・北川丞(きたがわ-すすむ、1910-1932)。長崎県出身。1931年、久留米工兵第十八大隊に入隊し、工兵隊一等兵になる。1932年、上海事変に出征し、2月22日、廟行鎮で中国軍陣地の鉄条網に爆薬破壊筒を持ち突入し爆死した。23歳。
 戦死後、伍長に特進した。「爆弾三勇士」の一人。
◆作江伊之助 近代の陸軍軍人・作江伊之助(さくえ-いのすけ、1910-1932) 。長崎県生まれ。久留米工兵第十八大隊一等兵工兵隊一等兵になる。1932年、上海事変に出征し、2月22日、廟行鎮で中国軍陣地の鉄条網に爆薬破壊筒を持ち突入し、負傷し、その後死亡した。23歳。
 戦死後、伍長に特進した。「爆弾三勇士」の一人。
◆内田徳次 近代の陸軍軍人・内田徳次(?-1936)。佐賀県の生まれ。久留米工兵第十八大隊長として、1932年、上海事変に出征し、2月22日、廟行鎮で中国軍陣地の鉄条網に爆薬破壊筒で突入する作戦で、3兵士に破壊筒点火を命じた。一等兵・作江伊之助の救護中に、自らも足を撃たれ負傷した。上海の野戦病院に入院、3月、帰国後、帰郷した。1936年、再び召集され、旧満州で戦死した。
◆肉弾三勇士 肉弾三勇士は、爆弾三勇士ともいう。
 1931年9月に、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)郊外にある柳条湖で、南満州鉄道の線路が爆破された。これを機に、現地の日本軍は軍事行動を開始し満州事変の発端になった。(柳条湖事件)。1932年、1月、抗日運動が高まり、日中両軍の衝突事件が起きた。(上海事変)。
 第1次上海事変下、1932年2月22日の上海廟行鎮の戦闘で、中国の第一九路軍は廟行鎮(びょうこうちん)に鉄条網を築いて防戦した。日本軍の久留米工兵第十八大隊(大隊長・広瀬勝滋)の攻略は難航した。
 小隊台分隊長(破壊隊班長)・内田徳次は、鉄条網爆破による突破を命じた。一等兵の江下武二、北川丞、作江伊之助の3人は、爆薬を装填し点火した破壊筒を抱き突入する。歩兵の突撃路を作るためだった。3人は自爆死し鉄条網を破壊した。
 陸軍は3人を「軍神」として顕彰した。新聞も軍事美談として報道する。芝居、映画、歌なども作られた。
 その後、1932年3月に、傀儡の満州国建国宣言があり、国際連盟は承認しなかったため日本は脱会する。その後、日本は日中戦争(1937-1945)、太平洋戦争(1941-1945)に突き進んだ。
 2015年に内田のメモ(1932)が佐賀県の実家で発見された。2月2日から50日間の出来事を綴った。内田は3人に破壊筒への点火を命じ、鉄条網10mの破壊に成功した。だが、江下、北川が爆死した。内田は負傷した作江の救護中に、右足を撃たれている。その後、内田は上海の野戦病院に入院し、胸の内を「三勇士を思えば泣いてむせぶ」と記している。
 2020年に福岡県で3勇士の顔写真、軍服の一部という小さな布切れ、「贈 三勇士被服片 附 記念書」(1932)が発見された。陸軍が記念品として贈ったものという。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料  ウェブサイト「真宗総合研究所研究紀要第12号 戦前の上海における浄土真宗本願寺派開教の足跡-『教海一瀾』と『文化時報』の記事から-」、「毎日新聞 2015年11月15日付」、「朝日新聞  2020年11月10日付 」、「朝日新聞  2021年1月6日付 」ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area西大谷(大谷本廟)  周辺,surrounding area   関連,relevance     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 肉弾(爆弾)三勇士の墓 〒605-0846 京都市東山区五条橋東
50音索引,Japanese alphabetical order ホーム,Home  top 50音索引,Japanese alphabetical order ホーム,Home  top
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光