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幸野楳嶺生誕地 (京都市下京区) Birthplace of Kono, Bairei |
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幸野楳嶺生誕地 | 幸野楳嶺生誕地 |
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![]() 「幸野楳嶺生誕地」の石標 |
新町通四条下ル西側に「幸野楳嶺生誕地(こうの-ばいれい-せいたんち)」の石標が立つ。 この地で、近代の日本画家・幸野楳嶺が誕生した。 ◆歴史年表 江戸時代、1844年、幸野楳嶺はこの地に生まれた。 現代、1970年、豊により石標が立てられた。 ◆幸野 楳嶺 江戸時代後期-近代の日本画家・幸野 楳嶺(こうの-ばいれい、1844-1895)。男性。本姓は安田、本名は直豊、字は思順、号は楳嶺、別号は鶯夢、長安堂、鶴鹿園など。1852年、中島来章に円山派を学ぶ。神山鳳陽に漢籍、中西耕石、前田暢堂に南画を学ぶ。1871年、四条派の塩川文麟に山水画を学んだ。1877年、文麟が没した後、その一門を率いた。1880年、田能村直入、望月玉泉らと京都府画学校を設立し、出仕する。1881年、退任した。私塾「楳嶺塾」を開く。1888年、教授、1889年、教頭になる。1890年、第3回内国勧業博覧会審査員になる。1893年、帝室技芸員。52歳。 墓は妙蓮寺(上京区)にある。 京都青年絵画会、京都私立絵画研究会を組織した。花鳥画を得意とした。作品に「秋日田舎図」など。門下に竹内栖鳳、菊池芳文、川合玉堂、都路華香、上村松園らがいる。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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