呉春宅跡 (京都市中京区)  
The ruins of residence of Goshun
呉春宅跡 呉春宅跡
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「呉春宅址」の石標
 東洞院通錦小路上ル西側に「呉春宅址
(ごしゅん たくあと)」の石標が立てられている。
 この付近に、江戸時代後期の画家・松村呉春の住居があったという。
◆歴史年表 江戸時代後期、この地に画家・松村呉春(1752-1811)の晩年の住居があったという。
 近代、1917年、石標は京都市教育により立てられた、
 1928年、石標は、京都史蹟会が引継いだ。
◆松村呉春 江戸時代後期の画家・松村呉春(まつむら ごしゅん、1752-1811)。京都生まれ。豊昌。号は月渓(げっけい)。京都金座の年寄役の長男。金座平役を勤めた。安永年間(1772-1781)末、職を退く。大西酔月に学び、1774年頃、与謝蕪村について南画と俳諧を学ぶ。1781年、妻、父が亡くなり、摂津池田へ移る。1782年、池田の古名呉服里(くれはのさと)に因み呉春に改めた。1787年、香住・大乗寺の応挙一門による襖絵制作に参加し、「群山露頂図」を描く。1786年(1789年とも)、京都に住居を移した。一時、木屋町に、晩年は四条東洞院に住む。呉春、一門の多くも四条付近に住み四条派と呼ばれた。
 四条派の祖になる。与謝蕪村、円山応挙に学び、文人画、写生画を兼ねた独自の画風を確立した。代表作は「柳鷺群禽図屏風」になる。門弟に異母弟・景文、岡本豊彦、塩川文麟らがあった。
 墓は七条・大通寺、後に金福寺(左京区)に改葬された。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 呉春宅跡 〒604-8145 京都市中京区錦,東洞院通錦小路上ル西側
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