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望月玉泉居住地 (京都市中京区) Site of residence of Mochizuki, Gyokusen |
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望月玉泉居住地 | 望月玉泉居住地 |
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![]() 「此辺画家 望月玉泉居住地」の石標 |
室町通丸太町下ル西側に「此辺画家(このへん-がか) 望月玉泉居住地(もちづき-ぎょくせん-きょじゅうち)」の石標が立てられている。 この地に、江戸時代後期-近代の日本画家・望月玉泉の住居があった。 ◆歴史年表 江戸時代後期-近代、望月玉泉(1834-1913)は、この地に住んだという。 近代、 1930年、竹間教育会により石標が立てられた。 ◆望月 玉泉 江戸時代後期-近代の日本画家・望月 玉泉(もちづき-ぎょくせん、1834-1913)。男性。京都の生まれ。父・日本画家・望月玉川(ぎょくせん、1794-1852)、望月派の祖・望月玉蟾(ぎょくせん、1693-1755)の4代目になる。子に玉渓がいる。父に画法を学び、御所造営などで御用画を描いた。1867年、パリ万国博覧会、1877年、内国勧業博覧会などで受賞した。1878年、幸野楳嶺(こうの-ばいれい)らと京都府画学校の創設を建議した。1880年、画学校が開校になり東宗(大和絵)担当の教員になる。1904年、帝室技芸員になる。 望月派、岸派、四条派を折衷した写実的な画風を確立した。作品に「雪中芦雁」など。 墓は真如堂(左京区)にある。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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