先求院〔知恩院〕 (京都市東山区)  
Sengu-in Temple
先求院〔知恩院〕 先求院〔知恩院〕
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 知恩院の門前、華頂道に面して知恩院塔頭・先求院(せんぐいん)がある。門脇に「酒井忠次公御廟所」の石標が立つ。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、出羽庄内藩・酒井忠次が開創した。開基は声誉助念による。
 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、酒井忠勝、牧野忠成、本多俊勝らが本堂を再建した。
◆声誉助念 安土・桃山時代の浄土宗の僧・声誉助念(?-?)。詳細不明。天正年間(1573-1592)、先求院の開基になる。
◆酒井忠次 室町時代後期-安土・桃山時代の武将・酒井忠次(さかい-ただつぐ、1527-1596)。通称は小平次、小五郎、左衛門尉、左衛門督、号は一智(いっち)。三河国(愛知県)の生まれ。父は左衛門尉系・酒井忠親。松平広忠に仕え、その異母妹・碓井姫(家康の叔母)を娶る。若年より広忠の子・徳川家康に仕えた。1549年-1560年、家康の駿府人質時代に供奉し、奏者役などを勤めた。1563年、三河一向一揆などに加わる。1564年、家康の三河一国統一に際し、今川氏の武将・小原鎮実を落し吉田城主になる。1570年、姉川の戦い、1573年、三方ヶ原の戦い、1575年、長篠の戦いに加わる。1582年、武田勝頼の滅亡後に信濃(長野県)経略の責任者になる。1584年、小牧・長久手の戦いに戦功があった。1586年、従四位下左衛門督に叙任される。1588年、家督を子の家次に譲り、一智と号し隠居した。70歳。
 「東三河の旗頭」と呼ばれ、石川家成(数正)と共に、家康の「両家老」といわれた。後世、「徳川四天王(ほかに本多忠勝、榊原康政、井伊直政)」の一人に数えられた。
◆墓 酒井忠次の廟所がある。
 酒井家、牧野家、本多家の菩提所になる。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 先求院 〒605-0062 京都市東山区林下町403
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