後崇光太上天皇 伏見松林院陵 (京都市伏見区)  
Imperial mausoleum of Abdicated Emperor Gosuko
後崇光太上天皇 伏見松林院陵 後崇光太上天皇 伏見松林院陵
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 伏見の松林院の東に、伏見松林院陵(ふしみ しょうりんいん の みささぎ)がある。
 南北朝時代-室町時代の尊称天皇の後崇光太上天皇(ごすこう だじょうてんのう/ だいじょうてんのう)が葬られている。後高倉院とともに、天皇即位をせずに太上天皇位を受けた一人になる。
◆歴史年表 室町時代、1456年、8月29日(新暦9月28日)、貞成親王(後崇光太上天皇)が亡くなる。愛着深い伏見殿に隣接した松林院の伏見松林院陵(伏見区)に葬られた。
◆伏見宮貞成親王 室町時代の皇族・伏見宮貞成親王(ふしみのみや さだふさ しんのう、1372-1456)。諡号を後崇光院(ごすこういん)、後崇光太上天皇(ごすこう だじょうてんのう/だいじょうてんのう)。栄仁(よしひと)親王の第2皇子。母は権中納言阿野実治の娘・大納言局阿野氏。母は藤原治子。北朝第3代・崇光天皇の孫。伏見宮3代目当主。養父・左大臣今出川公直・左大臣公行父子に育てられる。1392年、南北朝統一後は、帝位から遠ざけられた。1411年、40歳で元服し貞成と名乗る。1416年、父・栄仁親王が皇位継承を果たさずに亡くなる。1417年、兄・治仁王(はるひとおう)の没後、伏見宮を継ぎ伏見宮家第3代当主になる。だが、兄毒殺の嫌疑がかけられる。後小松上皇、4代将軍・足利義持から安堵を受けた。伝領してきた長講堂領などの持明院統所領は朝廷に召し上げられ失う。1425年、北朝第6代・第100代・後小松天皇の猶子になり、親王宣下を受けた。貞成親王が皇位を嗣ぐとの噂に、第101代・称光天皇が激怒し、誤解を解くために、後小松上皇の進言により伏見・指月庵で剃髪し、道欽(どうきん)と号した。1428年、称光天皇が再び重態に陥り、6代将軍・足利義教は貞成親王の実子・彦仁王(ひこひとおう)を庇護、後小松上皇は彦仁王を猶子とし、第102代・後花園天皇として即位し宿願を果たした。1435年、貞成親王は伏見御所に移る。1447年、太上天皇を贈られ、後崇光院(ごすこういん)と呼ばれた。翌1448年、尊号を辞退した。
 音楽や和歌に親しむ。宸筆日記『看聞御記』(1416-1448) 42巻。後花園天皇のために皇統について記した『椿葉記』1巻 、御集『沙玉集 (さぎょく)(『後崇光院御集』) 』などがある。伏見宮は、1947年に第24代・博明王が皇籍離脱するまで550余年続いた。
 陵墓は松林院陵(伏見区)にある。
◆陵墓 陵墓は伏見殿に隣接した松林院の伏見松林院陵(伏見区)にある。東面している。


北3 崇光天皇(在位:1348-1351) →北4 後光厳天皇(在位:1352-1371)→北5 後円融天皇(在位:1371-1382)→北6・100 後小松天皇 (在位:1382-1412)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『古代史研究の最前線 天皇陵』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後崇光太上天皇 伏見松林院陵  〒612-8081 京都市伏見区新町1丁目522
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