赤間薬師堂 (京都市伏見区)  
Akama-yakushi-do Hall
赤間薬師堂 赤間薬師堂
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「薬師如来」の石標


「威独鈷水」の石標




「薬師如来 威独鈷水 赤間薬師堂」の石標
 醍醐寺境内の北に赤間薬師堂(あかま やくしどう)がある。東裏町集会所を併設している。「赤間薬師寺」、「赤間薬師さん」とも呼ばれた。
 本尊には、薬師如来が安置されている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代後期、1185年、本尊・薬師如来は、長門(ながと)壇ノ浦での最後の源平合戦を避けて、赤間関(山口県下関市)から当地に遷され安置されたという。
 江戸時代、この地に、深草の日蓮宗の僧・元政(1623-1668)が仮寓したという。(『京都府宇治郡名蹟志』)
 1711年、薬師如来について記されている。(『山州名跡志』)
 現代、2008年、本尊の修造、堂の改修工事が行われた。
元政 江戸時代前期の日蓮宗の僧・元政(げんせい、1623-1668)。俗名は石井八郎元政、出家後の諱は日政、号は日如、日峰、不可思議、泰堂など。京都の武士の家に生まれた。13歳で彦根藩井伊直孝に仕える。19歳で病により帰郷する。泉涌寺の周律師に出家を断られ、江戸に赴く。江戸詰めの頃、吉原2代目三浦屋・高尾太夫と恋仲になる。だが、仙台藩主・伊達綱宗の太夫への横恋慕により、太夫は操を立て抗し惨殺(自死とも)されたともいう。1648年/1649年、京都の法華宗・妙顕寺の日豊(隠元とも)により出家する。深草に庵を結び、慧明日燈など子弟が多く集まり寺に改めた。
 俳諧、和歌、漢詩文、紀行文に秀で、熊沢蕃山、北村季吟、石川丈山、明の陳元贇(ちんげんぴん)とも交流した。詩文に『草山集』30巻がある。作風は丈山と対比された。瑞光寺の傍らに両親のために家を建て、孝子として知られた。46歳。
 遺骸は瑞光寺・称心庵に葬られ、墓は小竹三竿を植えた。
◆薬師如来 御堂内に「木造薬師如来坐像」(京都市指定有形文化財、1990年)が安置されている。平安時代後期、12世紀(1101-1200)後半の作になる。恵心僧都(源信、942-1017)作ともいう。
 平安時代後期、1185年、薬師如来は長門(ながと)壇ノ浦での最後の源平合戦を避け、赤間関(あかまぜき、山口県下関市)から当地に遷され安置されたという。旧地に因み「赤間薬師さん」と呼ばれ親しまれた。
 定朝様であり、螺髪は小粒で整然と刻まれている。頭体の比例は調和がとれ、顔立ちは穏やかで、全体の調和があり量感も程よい。肩から胸の肉付きは豊かで、腹部には厚み、背中をやや屈める。背の二重円相部は当初の部分を残している。2008年に修造し、金箔より漆箔に戻された。
 等身大坐像(像高84.6㎝)、寄木造、漆箔、彫眼。
◆威独水 境内に湧水する赤間水は、「赤間の威独鈷水」とも呼ばれた。現在も湧水がある。醍醐三水(ほかに、上醍醐の醍醐水、新町の弘法大師独鈷水)の一つに数えられた。
◆年間行事 赤間薬師講の集い(9月23日)。
 お世話(毎月12日)。


年間行事は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
❊参考文献・資料 京都市の説明板、『京都大事典』、『山科の歴史を歩く』 、ウェブサイト「京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課」、ウェブサイト「コトバンク」   


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map 赤間薬師堂 〒601-1313 京都市伏見区醍醐御陵東裏町27
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