陽成天皇 神楽岡東陵 (京都市左京区)  
Imperial mausoleums of Emperor Yozei
陽成天皇 神楽岡東陵 陽成天皇 神楽岡東陵
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「陽成天皇 神楽岡東陵」の石標


神楽岡東陵
 浄土寺真如町の神楽岡東陵(かぐらがおか の ひがしのみささぎ)は、平安時代前期の第57代・陽成天皇(ようぜい てんのう)を葬る。
◆歴史年表 平安時代、949年、9月29日、陽成天皇が冷泉院で亡くなる。その夜、棺は円覚寺に移される。10月3日、神楽岡東地に葬られる。(『日本紀略』巻4)
 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、所在不明になる。
 江戸時代、真如堂門前村の人家後園に荒墳があった。
 1855年、京都町奉行・浅野長祚(ながよし)は、現在地の吉田山(神楽岡)東の小丘を陵所にした。(『歴代廟陵考補遺』)
 1865年、修陵が完成し、朝廷の巡検使が発遣された。
◆陽成天皇 平安時代前期の第57代・陽成天皇(ようぜい てんのう、868-949)。貞明(さだあきら)。第56代・清和天皇の第1皇子。母は藤原長良の娘・尊称皇太后・高子(たかいこ、藤原基経の妹)。藤原良房(よしふさ)の染殿第で生まれた。869年、2歳で立太子、876年、践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)し、9歳で即位した。外伯父・基経が前代に引き続き摂政になる。880年、基経は関白として政務を執る。882年、元服の儀を終えた頃より基経と対立した。883年、天皇の乳母(めのと)・紀全子(き の またこ)の子・源益(みなもと の みつ)を殺害した。884年、自ら退位し、陽成院より二条院に移る。なお、左大臣・源融が即位を希望した。基経は、第54代・仁明天皇の第3皇子・時康親王(第58代・光孝天皇)を即位させ、以後、藤原氏の権威が確立する。『後撰和歌集』(『百人一首』にも)に採録。
 陵墓は神楽岡東陵(左京区)になる。
◆陵形 陵墓は八角丘であり、南西が正面になる。八角形の空堀がある。陵上に松、樫が植えられている。


54 仁明天皇(在位:833-850)→55 文徳天皇(在位:850-858)→56 清和天皇(在位:858-876)→57 陽成天皇(在位:876-884)→58 光考天皇(在位:884-887)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『歴代天皇年号事典』『京都大事典』『図説天皇陵』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 陽成天皇 神楽岡東陵 〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町5-6
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