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慧光寺 (京都市上京区) Eko-ji Temple |
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慧光寺 | 慧光寺 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() 明神堂、七面大明神を祀る。 ![]() 明神堂 ![]() イチョウ ![]() ![]() ![]() 庫裏 ![]() ![]() 鐘楼 ![]() ![]() イチョウの大木 ![]() 【参照】「元伊佐町」の町名(上京区) ![]() 【参照】「伊佐町」の町名(上京区) |
浄福寺通に面して慧光寺(えこう-じ)がある。山号は智照山という。 日蓮宗本圀寺派、本尊は十界曼荼羅。 ◆歴史年表 室町時代、天文年間(1532-1555)、足利義輝の家臣・野本輝久の亡き後、その正室・伊佐が出家し妙法尼と名乗り、菩提を弔うために私邸を草庵とした。寺号は輝久の法号による。開山は日玄による。当初は、須磨町(上京区元伊佐町)にあった。(『山州名跡志』『坊目誌』) その後(年代不詳)、新在家町(上京区)に移る。 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、現在地(笹屋町)に移った。 ◆野本 輝久 室町時代後期の武将・野本 輝久(のもと-てるひさ、?-1565)。詳細不明。男性。足利義輝の家臣。式部少輔。三好長慶、松永久秀らの義輝暗殺計画に同意しなかったため、1565年、即刻、長慶の家臣に殺害された。 墓は妙恵会総墓所(下京区)にある。 ◆野本 伊佐 室町時代後期の野本 伊佐(のもと-いさ、?-?)。詳細不明。女性。父・久我晴通(こが-はるみち)。足利義輝の家臣・野本輝久の正室。天文年間(1532-1555)、夫亡き後、出家し妙法尼と名乗る。夫の菩提を弔うために私邸を草庵とした。 邸宅は人々に「伊佐殿」と呼ばれた。◆元伊佐町 伊佐殿は町名の由来になり、伊佐町と称される。上京区に元伊佐町(もといさ-ちょう)が残る。 ◆樹木 ◈イチョウの大木がある。 ◈ヤマザクラ(上京区民の誇りの木)がある。 高さ6.50m、枝張10.7m、幹周2.05m。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』、『京都市の地名』、『京都歴史案内』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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