弘誓寺 (京都市上京区) 
Guzei-ji Temple
弘誓寺 弘誓寺 
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「木村長門守重成公旧館地」の石標
 長門町(ながとちょう)に弘誓寺(ぐぜいじ)はある。長門寺とも呼ばれ、山号も長門山という。この地は、江戸時代の武士・木村重成(長門守)の旧館地といわれ、山号、町名もこれに因む。
  浄土宗、本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 室町時代、1572年、白蓮社玄富が創建した。(『坊目誌』)
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉は玄富に帰依し、桃山の旧殿を与えたという。
◆白蓮社玄富 安土・桃山時代の浄土宗の僧・白蓮社玄富(生没年不詳)。詳細不明。天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉が帰依し、弘誓寺を創建する。
◆木村重成 安土・桃山時代-江戸時代前期の武士・木村重成(きむら しげなり、?-1615)。通称は長門守(ながとのかみ)。近江・佐々木氏の末・木村常陸介重茲(ひたちのすけ しげこれ)の子、紀伊の地侍の子とも。母・右京大夫局は豊臣秀頼の乳母。秀頼に仕え、長門守を称した。1614年、初陣の大坂冬の陣で、後藤基次とともに、上杉景勝・佐竹義宣と、鴫野(しぎの)、今福で戦う。講和使者として徳川秀忠の本陣・岡山に赴きその誓紙を受けとる。1615年、夏の陣でも籠城し、若江に出陣、藤堂高虎・井伊直孝勢と戦い、安藤長三郎某に討たれた。美貌の若武者だったという。討死を覚悟し、兜に名香を焚き込めたという。家康が首実検し感嘆したという。21歳、24歳とも。
◆亀岡規礼
江戸時代後期の画家・亀岡規礼(かめおか きれい、1770-1835)。笹井源太郎。京都の生まれ。円山応挙の弟子、山本守礼にも写生画を学ぶ。山本の養子になり、守礼の実家・亀岡の姓をつぐ。寛政期(1787-1793)の内裏障壁画制作に参加。花鳥・山水画に秀でた。
 弘誓寺に墓がある。
◆長門町 町名の長門町は、1868年、東の弘誓寺町を合併して長門町になったという。聚楽第のゆかりの地名だった。(『坊目誌』)。この地は、武士・木村重成(長門守)の旧館地だったという。また、長門の毛利氏、武士・木村重高(?-1582)の邸ともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『京都市の地名』


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本堂

子育地蔵尊

子育地蔵尊

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玄関

庫裏

鐘楼


長門町の町名
弘誓寺  〒602-8353 京都市上京区長門町419-2      
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