西光寺 (京都府京田辺市) 
Saiko-ji Temple
西光寺 西光寺 
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 西光寺(さいこうじ)の山号は霊松山(れいしょうざん)という。 
 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代、天平年間(729-749)、行基により開かれたという。(「什物控」)
 1575年、西光比丘(さいこう びく)により中興される。
 近代、1868年、薪神社(天神社)にあった光通寺(廃寺)の釈迦堂より、薬師如来立像、因達羅(いんだら)大将立像など諸仏が当寺に遷された。
 1933年、現在の堂宇が建てられた。
行基 奈良時代の僧・行基(ぎょうき/ぎょうぎ、668/667-749)。河内国の人。父は高志才智、母は蜂田古爾比売。681年/682年、出家、官大寺で法相宗などを学ぶ。691年、高宮寺で具足戒を受ける。畿内に道場、寺を建立、溜池、溝・堀、架橋、困窮者の布施屋建設などの社会事業を行う。704年、生家を家原寺とし住した。717年、民衆煽動と僧尼令に反した寺外活動の咎で詔により弾圧を受ける。731年、弾圧を解かれる。732年、河内国狭山下池の築造に関わる。734年、東大寺大仏建立の詔が発布、勧進の任を務めた。736年、インド出身の僧・菩提僊那一行来日に際し大宰府で迎えた。738年、朝廷より行基大徳の称号が授与される。740年以降、東大寺大仏建立に協力する。741年、聖武天皇と恭仁京郊外の泉橋院で会見する。743年、東大寺大仏造営の勧進になる。745年、朝廷より日本初の大僧正位を授けられる。菅原寺(喜光寺)で亡くなる。地図の行基図を作成したという。東大寺「四聖」の一人。
◆仏像 本尊の「阿弥陀如来坐像」(69.9cm、台座を含め70cm)は、平安時代の円仁(えんにん、794-864)作とも、鎌倉時代の仏師・快慶(生没年不詳)作ともされる。
 脇侍は「観世音菩薩立像」(60.6cm)、「勢至菩薩立像」(60.6cm)になる。
 ほかに、「善導大師」(36.36cm)、「法然上人坐像」(36.36cm)。
 「薬師如来立像」(135cm)は白木造、「因達羅(いんだら)大将立像」(80cm)も白木造になる。ともに、近代、1868年に薪神社(天神社)の廃寺になった光通寺・釈迦堂より遷された。
 「役小角坐像」(60cm)は、近代、1868年に光通寺・観音堂から遷された。「不動明王立像」(76cm)は、釈迦堂か観音堂より遷されている。
 墓地に石像の「地蔵菩薩立像」がある。
◆建築 現在の本堂は、1933年に建てられている。1986年に瓦葺になる。入母屋造、本瓦葺。間口5間(9.06m)、奥行6間半(11.817m)
 庫裏は、1933年に建てられた。木造瓦葺平屋建。間口5間(12.726m)、奥行6間半(7.878m)。
 山門は、1951年に建てられた。薬医門、瓦葺。
 納屋は、1933年に建てられた。間口2間(3.636m)、奥行2間半(545m)。
◆文化財 「浄土三部経」、「二河白道図」、「眞葛原図」「釈尊図(釈迦三尊図)」。
 江戸時代、1742年寄進の「涅槃図」(242×158cm)。
◆石塔 鎌倉時代後期の「七重石塔」は、塔身に梵字が刻まれている。
◆桜 境内に緋寒桜(2月中旬-)がある。
◆年間行事 尼講(春秋の彼岸)。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『薪誌』『田辺郷土史』『神南備山マップ』


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 西光寺 〒610-0341 京都府京田辺市薪井手41  0774-62-0980
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