聖林院 〔萬福寺〕 (京都府宇治市)
Shorin-in Temple
聖林院 聖林院 
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みみづく地蔵尊(南無耳就地蔵菩薩)





 萬福寺境内の南に塔頭・聖林院(しょうりんいん)がある。みみづく地蔵尊発祥の寺とされ、南天寺とも呼ばれている。
 黄檗宗。本尊は釈迦如来像。
◆歴史年表 江戸時代、1667年、青木重兼(青木端山、端峰性正)は4代将軍・徳川家綱より本山に銀2万両と西域木を寄進され、萬福寺の大雄宝殿の造営奉行に任じられた。青木は山内に不二庵を建立し、留雲亭に住した。その後、青木は庵を廓山道昭に譲る。廓山は聖林院と改めて住した。その後、廓山は法兄の慧極道明(えごく どうみょう)に庵を譲る。
 1668年、慧極道明(えごく どうみょう)を開山とし、青木端山(青木重兼)を開基として聖林院は創建された。
 1761年、終南浄寿(しゅうなん じょうじゅ)が住した。
◆青木重兼 江戸時代の大名・青木重兼(あおき しげかね、1607-1682)。旗本・青木可直の長男として播磨姫路藩に生まれる。1619年、伯父・一重の隠居に際し養嗣子となり、摂津麻田藩藩主青木家2代を継ぐ。1641年、徳川家光の上洛に随行し、仁和寺の造営奉行、その後、妙心寺の愚堂禅師に参禅した。1663年、摂津・多田院の再興奉行に就く。1656年、摂津・普門寺で隠元隆琦に会い師事、以後、1659年、摩耶山麓に仏日寺を創建、隠元を開山に迎えた。1660年2世に慧林性機を迎える。1667年、将軍徳川家綱より萬福寺に銀2万両と西域木が寄進され、大雄宝殿建立の造営奉行に任命される。山内に不二庵を建立し、留雲亭に住した。1672年、家督を譲り、1679年、萬福寺の木庵性瑫により出家した。川辺郡・大覚山方広寺を開き伽藍を建立、開山を木庵とし自らは2世となる。僧名は端山性正と称した。
◆廓山道昭 江戸時代の黄檗宗の僧・廓山道昭(1640-1717)。出雲大社の生まれ。14歳で曹洞宗で出家、19歳で行脚遍参、黄檗宗の木庵性瑫(もくあん しょうとう)に師事、1677年、木庵の役寮に入り、監寺の別山道徹のもとで副寺、1678年、監寺となる。1681年、黄檗3世・慧林性機の没後、都寺として1682年、本山を看守した。青木重兼より不二庵を譲られ、聖林院として住した。法兄・慧極道明に院を譲る。1693年、伊勢・東明山景徳寺の中興開山。黄檗4世・独湛性瑩(どくたん しょうけい)の第六開戒、第七開戒、5世・高泉性敦(こうせん しょうとん)、第八開戒に尊証阿闍梨となる。1696年、江戸・瑞聖寺の第四次黄檗三檀戒に羯磨阿闍梨。瑞聖寺5世、晋山開堂、1698年、6世・千呆性侒の登城を迎え、1699年、景徳寺に隠棲した。景徳寺に塔された。
◆慧極道明 江戸時代の黄檗宗の僧・慧極道明(えごく どうみょう、1632-1721)。長門の生まれ。木庵性瑫(もくあん しょうとう)の印可を受ける。河内・法雲寺の開山、江戸・瑞聖寺3世。1692年、長門・萩藩主・毛利吉就に招かれ東光寺を開く。
◆終南浄寿 江戸時代の黄檗宗の僧・書家・篆刻家・終南浄寿(しゅうなん じょうじゅ、1710-1767)。伊勢の生まれ。小島息安の次男。兄・伊藤華岡より書を学ぶ。9歳で山代・甘南備寺で得度、1729年、南嶺元勲の法嗣。のち神光院、萬福寺・聖林院の住持。江戸に遊学し、詩文に通じた。岡崎に介石庵を結び文人と交わる。萬福寺万松崗に墓がある。
◆みみづく みみづく地蔵尊発祥の寺といわれ、山門脇に石造のみみづく地蔵尊(南無耳就地蔵菩薩)が安置されている。
 みみづくは知恵を司る神とされ、耳就とも記されて人々の声をよく聞くとされる。万病、さまざまな悩みに効験があるという。
◆花暦 南天寺とも呼ばれている。南天の葉は生薬としても用いられている。「難を転ずる」としての信仰もある。
 境内に在来種の希少な日本タンポポが自生している。サクラ、アジサイ、紅葉、日本水仙なども植栽されている。
◆年間行事 みみづく地蔵尊法要・みみづくさんの日(手づくり市、落語のみみづく寄席など)(毎月24日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都の禅寺散歩』、当院サイト


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聖林院 〒611-001 宇治市五ヶ庄三番割34-12  072-541-1309    
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