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長松院 〔萬福寺〕 (京都府宇治市) Chosho-in Temple |
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長松院 | 長松院 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 鉄牛道機の遺偈 |
萬福寺境内の南東端に、塔頭・長松院(ちょうしょういん)がある。 黄檗宗。 ◆歴史年表 江戸時代、1678年、鉄牛道機(てつぎゅう-どうき)が、美濃加茂城主・松平光永室・長松院の菩提のために創建した。 現代、1990年、現在の伽藍が再建される。 ◆鉄牛道機 江戸時代前期の黄檗宗の僧・鉄牛道機(てつぎゅう-どうき、1628-1700)。俗姓は益田、黄檗鉄牛、号は自牧子、謚号は大慈普応国師。長門(山口県)、石見(島根県)生まれともいう。11歳で鳥取・龍峰寺の提宗慧全(ていじゅう-えぜん)に就く。大坂・大仙寺の湛月紹円(たんげつ-しょうえん)に師事し、妙心寺で学ぶ。15歳で剃髪した。1655年、長崎・崇福寺の黄檗隠元に参禅する。1656年、木庵性瑫(もくあん-しょうとう)の法嗣になり、鉄牛道機と名を改める。萬福寺創建に尽力した。浄住寺を中興し、江戸・弘福寺に移る。伊達綱村の招請により陸奥・大年寺、稲葉正則の帰依により相模・紹太寺、武蔵・弘福寺などを開創した。江戸白金・瑞聖寺2世になる。福聚寺を建て没した。語録『鉄牛禅師語録』など。73歳。 鉄眼道光の大蔵経開板に協力した。下総椿沼の干拓に関わる。 ◆長松院 江戸時代前期の女性・長松院(?-1678?)。詳細不明。丹波篠山藩2代藩主・松平典信の娘。美濃加納藩第2代藩主・松平光永の正室になる。 ◆文化財 鉄牛寿像を安置する。かつて、塔頭・緑樹院に預けられていたものを遷した。 ◆遺偈 鉄牛道機の遺偈がある。「明明歴々 歴々明明 此是何物 廻脱死生」と刻まれている。 ◆年間行事 開山忌(6月20日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都の禅寺散歩』、『黄檗文化』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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