獅子林院 〔萬福寺〕 (京都府宇治市)
Shishirin-in Temple
獅子林院 獅子林院 
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「黄檗四代念仏独湛和尚塔場」の石標

 萬福寺の境内北西端に塔頭・獅子林院(ししりんいん)がある。 
 黄檗宗。
◆歴史年表 江戸時代、1678年、独湛性瑩(どくたん しょうけい)により建立された。
 1692年、独湛は退隠する。
 1704年、「勧修作福念仏図説」縁起文を板行した。
 1706年、現在の開山塔が建立される。
 近代、1898年、文人画家・田能村直入が住持となり再興した。
独湛性瑩 江戸時代の黄檗宗の渡来僧・独湛性瑩(どくたん しょうけい、1628-1706)。黄檗独湛。福建省生。16歳で梧山・積雲寺の衣珠により出家した。雲棲しゅ宏、1649年、泉州承天寺の亘信行弥、1651年、黄檗山の隠元に参じた。1653年、大悟。1654年、隠元に従い来日、長崎・興福寺、摂津国・普門寺、山城国・萬福寺と隠元に従う。1663年、萬福寺祝国開堂後の冬の統制で西堂、授戒会で尊証阿闍梨に任ぜられた。1664年、隠元の法嗣、遠江国・初山宝林寺の造営。1665年、初代住持(隠元は開山)、1673年、上野国に二山国瑞寺を開山。1681年、萬福寺4世、1692年、獅子林院に隠退。上州の二山に招かれ塔頭の永思塔に仮寓した。1706年、獅子林院で没した。禅浄兼修し、「念仏独湛」と称された。
◆田能村直入
 江戸時代末期-近代の画家・田能村直入(たのむら ちょくにゅう、1814-1907)。豊後生まれ。岡藩士三宮伝右衛門の三男。1822年、9歳で田能村竹田に入門、養嗣子となる。儒学を角田九華、漢詩を広瀬旭荘に学び、表千家茶道、香道、東軍流の剣術も身につけた。1834年、竹田に伴い大坂の大塩平八郎、洗心堂で陽明学を学び、佐武理流の槍術免許を得る。27歳で堺に詩社咬菜吟社を設立。35歳で黄檗宗の天沖真一に参禅、印可と居士号を授かる。岡藩主・中川久成に請われ藩士として仕える。1877年、京都博覧会開催に尽力、受賞した。1878年京都府画学校の設立を幸野楳嶺らと京都府知事・槇村正直に建議、1880年、開校し摂理(校長)に就任。1884年、内部対立の責を取り辞職する。私塾南宗画学校を設立。1896年、富岡鉄斎、谷口藹山らとともに日本南画協会を設立、私塾を合併した。1899年、萬福寺・獅子林の住持、1907年、確執により僧籍を離れる。
 「黄檗山獅子林真景図」などの作品がある。文人画を多く描いた。煎茶の普及にも尽力した。境内に画堂がある。
◆勧修作福念仏図説 『勧修作福念仏図説』は、江戸時代に念仏流布のために用いられた木版刷り説明図をいう。最上部に「南無阿弥陀仏」とあり、中央に獨湛自筆という阿弥陀如来図が描かれ、左右には趣旨説明文がある。図説の周囲などに○印が数多く記されており、念仏を千遍、万遍回称えるごとにこの印を塗りつぶしたことから、「消し念仏」として知られた。獨湛の『勧修作福念仏図説』は江戸時代、宝永年間(1704-1710)より昭和(1925-1989)初期までに十刷されている。
◆建築 開山塔、土塀(府指定文化財)は、江戸時代、1705年建立による。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の禅寺散歩』『黄檗文化』


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画堂

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小便地蔵菩薩

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開山塔

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