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緑樹院 〔萬福寺〕 (京都府宇治市) Ryokuju-in Temple |
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緑樹院 | 緑樹院 |
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萬福寺境内の南端に塔頭・緑樹院(りょくじゅいん)がある。潮音精舎ともいう。 黄檗宗。本尊は観世音菩薩。 ◆歴史年表 江戸時代、1674年、潮音道海(ちょうおん-どうかい)が創建した。 現代、1946年、村瀬玄妙(むらせ-げんみょう)が潮音舎を創立する。 1969年、青少年文化研修道場が設立される。 1971年、青少年文化研修道場が完成する。 ◆潮音道海 江戸時代前期の黄檗宗の僧・潮音道海(ちょうおん-どうかい、1628-1695)。俗姓は楠田、号は南牧樵夫。肥前(佐賀県)の生まれ。13歳で慈雲寺泰雲のもとで出家した。医王寺の瑞巌に就き修行する。地元・円通寺、諸国で修行後、江州瑞石山永源寺の如雪文巌(じょせつ-ぶんげん)に参じた。1654年、長崎の黄檗宗・崇徳寺の道者超元(どうじゃ-ちょうげん)について修行した。1661年、萬福寺の隠元隆琦(いんげん-りゅうき)の弟子になる。木庵性瑫(もくあん-しょうとう)に学ぶ。1664年、木庵とともに江戸に行き、池田秀峰(いけだ-しゅうほう)、黒田泰岳(くろだ-たいがく)に招かれ大慈庵に住した。1669年、上野館林藩主・徳川綱吉に請われ、万徳山広済寺を開く。木庵性瑫を開山とし自らは2世になる。美濃・宝巌寺、上野・不動寺などを開山した。1671年、木庵の弟子になり、その法嗣になる。1674年、萬福寺・緑樹院を創建した。著『摧邪輪(さいじゃりん)』など。68歳。 神道、真言宗の教義にも通じた。全国20数カ所の寺を開山し、110余りの末寺、受戒道俗10余万人に上る。63人の門弟を育てたという。 ◆村瀬玄妙 近現代の黄檗宗の僧・村瀬玄妙(むらせ-げんみょう、1913-1988)。室号は棲賢室。長野県の生まれ。9歳で、浅間山普賢寺の第25代・玄門老大和尚に就き得度した。旧制中学卒後、19歳で京都へ移る。1937年、禅門高等学院を卒業した。萬福寺で修行し、黄檗宗大本山禅堂の職員を経て、萬福寺・緑樹院住職になる。1971年、山内に青少年文化研修道場を開く。1980年-1987年、第57代・黄檗宗管長になる。著『転んだら起きればよい』など。75歳。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都の禅寺散歩』、『黄檗文化』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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