慧照院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Esho-in Temple
慧照院 慧照院 
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 妙心寺境内の南に塔頭・慧照院(えしょういん)はある。かつて、愚堂国師七刹の一つとされた。「五色散椿の寺(ごしきちりつばきのてら)」とも呼ばれている。 
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 江戸時代、1623年、福井城主・松平忠昌候により、正室・花姫の菩提所として創建される。当初は北門付近にあった。花姫の法号「黄梅院殿」に因み、当初は黄梅院(おうばいいん)と称した。
 その後、衰微する。
 宝永年間(1704-1711)、1706年とも、大春が中興し、院号も慧照院に改める。
 1859年、現在地付近に恵照院の院号で記されている。(「正法山妙心禅寺塔頭総図」)
 近代、1878年、文個師住持の時、華獄院(かごくいん)を合併した。
◆瑞翁宗祥 江戸時代の臨済宗の僧・瑞翁宗呈(ずいうん そうてい、生没年不詳)。詳細不明。東陽英朝の孫。美濃伊自良・東光寺5世、岐阜天王山・蓮華寺8世、福井・東光寺を開創する。
◆大春元貞 江戸時代の臨済宗の僧・大春元貞(だいしゅん げんてい、生没年不詳)。詳細不明。愚堂門下、大雅派密雲の法嗣。妙心寺291世。
◆花姫 江戸時代の女性・花姫(?-1633?)。詳細不明。紀州藩主・浅野幸長の娘。福井城主・松平忠昌候の正室。18歳。
◆松平忠昌 江戸時代の大名・松平忠昌(まつだいら・ただまさ、1598-1645)。大坂に生まれた。結城秀康の次男、母は中川一茂の妹岡山(清涼院)。徳川家康の孫。1607年、上総国姉崎で所領を得る。1614年-1615年、大坂冬の陣・夏の陣に功あり、常陸国下妻、1616年、信濃国川中島、1618年、越後国高田、1624年、越前国に移封。北ノ庄を福居(後の福井)に改め、法制を整え、新田開発、交通も整備した。1637年、加増され、1644年勝山の幕府領を預かる。武勇に優れた。江戸・中屋敷で亡くなる。葬儀の後、家臣7名が殉死した。
◆華獄院 華獄院(かごくいん)は、江戸時代、1615年に義山により開かれた。開基は花井紹隆による。
◆五色散椿 樹齢120年という「五色散椿」が花を付ける。五色椿の開花(4月中旬-下旬)にあわせて特別公開されている。
 拝観は山内の宿坊宿泊者、事前に当院に連絡し許可を得られた者に限るという。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』



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【参照】西に流れている宇多川
慧照院 〒616-8056 京都市右京区花園坤南町3  075-463-7056 
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