雑華院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Zakka-in Temple
雑華院 雑華院 
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玄関


庫裏




鎮守社
 妙心寺境内のほぼ中央に塔頭・雑華院(ざっかいん/ざっけいん)がある。
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1583年、牧村利貞は、養徳院創建の際の余地を石川光重により譲られる。利貞実弟の妙心寺79世・一宙東黙(いっちゅう とうもく)に請じて開創した。
 1593年、利貞が亡くなり、その菩提所になる。
 年代不詳、2世は月漢良恷(げっかん りょうふ)による。
◆一宙東黙 安土・桃山時代の僧・一宙東黙(いっちゅう とうもく、生没年不詳)。詳細不明。本源自性禅師。稲葉一鉄(良通)の子。利休七哲の一人・牧村利貞(稲葉重通の子)の弟。東海派下独秀(どくしゅう)門派の柏堂景森(はくどう けいしん)に参じ、その嗣・虚庵慧洪(きあん えこう)を嗣ぐ。妙心寺79世。1583年、妙心寺・雑華院を創建した。1601年、蟠桃院を創建する。弟子に夬室智文(かいしつ ちもん)などがいる。
◆牧村利貞 室町時代-安土・桃山時代の武将・牧村利貞(まきむら としさだ、1546-1593)。稲葉重通の子。弟は一宙東黙。外祖父・牧村政倫を継いで伊勢岩出城主になる。1582年、織田信長の死後、豊臣秀吉に仕えて馬廻。1584年、高山右近の勧めによりキリシタンになる。1584年、小牧・長久手の戦い、1585年、四国征伐、1587年、九州征伐に参加した。1590年、秀吉より伊勢国内に所領を得る。1592年より、文禄・慶長の役に舟奉行として参加、朝鮮で病没した。
 利休七哲の一人で、ユガミ茶碗により、茶の湯にユガミ、ヒズミという新たな美意識を確立した。
◆月漢良恷 安土・桃山時代-江戸時代の僧・月漢良恷(げっかん りょうふ、生没年不詳)。詳細不明。土岐氏の出身、南化玄興(なんか げんこう)の姉の子。法嗣に水南(心印正伝禅師)がいる。雑華院の中興祖になる。
◆玉淵坊日首 江戸時代初期の日蓮宗の僧・玉淵坊日首(ぎょくえんのぼう にっしゅ、生没年不詳)。妙蓮寺の僧。小堀遠州の末弟・小堀左馬介正春(1596-1672)に作庭で仕えた。仙洞御所では正春の責任者代行を務め、桂離宮の造園を指示したという。妙蓮寺の枯山水式の石庭「十六羅漢の石庭」、塔頭・玉龍院、妙心寺・雑華院、高槻の普門寺も作庭した。
◆狩野山楽 安土・桃山時代-江戸時代初期の画家・狩野山楽(かのう さんらく、1559-1635)。近江に生まれた。父・木村永光は浅井長政の家臣。当初は長政に仕え、後に豊臣秀吉の近侍になる。秀吉の推挙で狩野永徳の門人になり、養子になり狩野氏を許された。1588年、秀吉の命により、病に倒れた師・永徳を継ぎ、東福寺法堂「蟠竜図天井画」(1881年焼失)の修復を完成させる。1594年、伏見城、1597年、再建の伏見城、1604年、大坂城の千畳敷大広間の障壁画にも参加した。1615年、豊臣家滅亡で大坂城を脱出し、男山八幡宮の社僧で山楽の弟子・松花堂昭乗のもとに身を隠した。恩赦により京都に帰る。2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・家光に重用され、再建された四天王寺、大坂城本丸障壁画、妙心寺・天球院障壁画などにも加わる。代表作に正伝寺方丈、養源院の障壁画がある。
 泉涌寺に葬られた。山楽、山雪の子孫は京都に住み「京狩野」と呼ばれた。
◆韶陽院殿 江戸時代の女性・韶陽院殿(しょうよういんでん、?-1603)。三の丸殿。織田信長の6女。母は織田信忠の乳母・慈徳院という。蒲生氏郷の養女として豊臣秀吉の側室。伏見城三の丸に住し、三の丸殿と称された。1598年、醍醐寺の花見で、4番目の輿で参加する。秀吉没後、1599年、二条昭実に再嫁する。20代後半で死去した。法号は「韶陽院殿華厳浄春」。墓は妙心寺にある。
◆土方稲嶺 江戸時代中期の画家・土方稲嶺(ひじかた とうれい、1807/1735-1741)
。因幡の生まれ。江戸で南蘋(なんぴん)派の宋紫石(そう しせき)に学ぶ。京都に移り、円山応挙の門人ともいう。谷文晁と交流したともいう。1798年、鳥取藩主・池田斉邦(なりくに)に召され藩絵師になる。山水・花鳥に優れた。妙心寺・雑華院、春光院などに障壁画がある。
◆曾我霞蕭 江戸時代の画家・曾我霞蕭(そが かしょう、生没年不詳)。詳細不明。曾我蕭白(そが しょうはく)の流れをくむ。
◆建築 本堂、書院、庫裡などが建つ。
◆庭園 方丈前庭の庭園(京都市指定名勝)は、江戸時代初期、玉淵坊日首の作庭によるという。禅院式枯山水式庭園であり、苔地に10数個の景石を配している。左手(東)に一群は配石されている。
 江戸時代、1799年の『都林泉名勝図会』にも描かれている。奇石により十六羅漢を表している。当時は、左から「三、五、六、二」の4群16石の配石、丸刈込の構成になっていた。その後、東の配石が乱れる。
 近代以降、庭の南東隅に蔵が建ち、東の石が方丈よりに移されている。
◆文化財 狩野山楽筆「薬山射塵中塵図」は、公案を画因とする禅機画(禅宗独自の図)で山楽の款印がある。江戸時代、元和年間(1615-1624)-1629年の作になる。賛は単伝士印(たんでん しいん)による。
 江戸時代の文人画家・中林竹洞(1776-1853)筆「夏山沐雨図」「花鳥図」、江戸時代、1613年に一宙東黙(いっちゅう とうもく)自賛の「一宙禅師像」。狩野元昭筆「大愚禅師像」、江戸時代、1603年の南化玄興(なんか げんこう)の賛がある「韶陽院殿像」。
 織田信長の娘「二条昭実(あきざね)夫人像」、「大野治長(はるなが)夫人像」は、美人画の先駆であり「三名幅(ほかに龍安寺の「細川昭元夫人像」)」の一つになる。
◆障壁画 書院一の間に曾我霞蕭筆「山水図」10面がある。
 二の間に土方稲嶺筆「孔雀図」4面、「岩浪図」4面、三の間に「竹林七賢図」4面、「柳鴬図」2面がある。
◆墓 開基・牧村利貞、稲葉重通の子・稲葉道通(1570-1608)、その子・稲葉紀通(1603-1648)の墓がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献  『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『洛西探訪』『京都市の指定文化財 第5集』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』


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